act2号・後半

■時評・発言
●諫早発大阪行(博多乗換)星野明彦 大阪から長崎県諫早市に転勤して、一年三箇月になる。転勤が決まった時周囲から「九州は演劇が盛んですよ」と言われたが、その言葉はある程度は当たっていた。
九州全体では18の市民劇場があり、東京の老舗劇団が約五万の会員を相手に、二箇月近い巡演を行っている。僕の所属する大村諫早市民劇場だけで、約1300名の会員がいる。これだけで大阪労演の会員数に匹敵する。ちなみに大阪市の人口250万に対し、大村・諫早両市の人口を合わせても18万である。
九州の中心である福岡市には公設民営の博多座があり、歌舞伎や「放浪記」等興行会社の枠を問わない、多彩な商業演劇が上演される。北九州市には昨年出来たばかりの、大中小3劇場を持つ演劇専用の北九州芸術劇場があり、蜷川幸雄や宮本亜門の演出作品等が招かれている。
そして地元劇団だが、北九州市には泊篤志代表の「飛ぶ劇場」、旧東独出身のペーター・ゲスナー率いる「うずめ劇場」という、全国的に名が知られ始めた二劇団がある。福岡市には100を超える劇団があり、中でも大塚ムネト主宰の「ギンギラ太陽’S」は、一公演につき三千人の観客を動員している。残念ながら福岡県以外の目立った劇団の噂は聞かない。しかし福岡・北九州まで足を延ばせば、来演・地元を問わず多彩な舞台に出会うことは可能なのだ。
しかし九州の演劇環境は、果たして本当に豊かなのだろうか。一年と少し表面を見ただけでも、様々な疑問が湧いて来た。
まず関西よりずっと盛んに見える市民劇場だが、老舗中心・中高年女性への偏り・他の演劇に対する会員の無関心、これらの問題点は関西と変わらない。しかし例会が行われる各都市のホールの多くは、関西よりさらに大規模になる(諫早文化会館は約13OO名)。そして活動は「前例会クリア」が第一目標となり、上演後の批評活動は行われない。「自分達が呼んだ以上舞台についてとやかく言わない」という方針があるという。
会員数が減る一方の近畿に比べれば、以上の方針が成功を収めているのだろう。しかし満員の客席のマナーはよいとは言えず、機関誌の感想文も舞台自体よりも会員拡大について書いたようなものが目立つ。平田オリザが「芸術立国論」で指摘した演劇鑑賞会の問題点・「東京での演劇を水増し」「会員数を文字通り水増し」を思い出さずにはいられない。「九演連」は、果たしてどれだけの主体的な観客を生んだのだろうか。
そして地元劇団の現状だが、九州唯一の演劇批評誌である「NTR」(柴山麻妃氏の編集・発行、現在まで13号)が大変参考になる。何号か読んで意外にも、「福岡からは関西は恵まれて見える」と感じた。
「NTR」10号(特集は「福岡のこれからの演劇」)の座談会で、柴山氏は福岡の製作者達に「全国レベルの舞台と言うのは福岡の都市圏では作られていない」という声がある、と問いかけている。その後「全国レベル」とは評価か人気か、という話になるが、別の号で劇評執筆者の一人は、「名古屋や京都にあるような全国レベルの」劇団が福岡にはないと書いている。この場合は「評価」だろう。
10号の別の座談会で大塚ムネトは大阪について言う。「メディアの現場があるんですよね(中略)役者としての求められる現場があるってことで。それに大阪の劇団は、ある程度になると東京公演もしますから、頑張れば東京でも役者として評価される」だから福岡よりも恵まれている、という訳だが、よく読めば関西を通して東京を観ているとわかる。 泊・大塚の両氏は一旦東京に出て福岡に戻り、福岡で芝居を作り続けている。東京や関西の公演も行う飛ぶ劇場は3回観たが、確かに「全国レベル」の「評価」に値する。一方のギンギラ太陽’Sは「福岡でしか観れない、受けない作品」と開き直り、かぶり物で福岡のビルや交通機関を擬人化する。今年一月に初めて観たが、その独特の気概は評価すべきとしても、かぶり物に役者が埋没していることに大きな疑問を感じた。
東京よりも距離が近いことから、九州と関西の演劇界は交流を始めたようだ。昨年の北九州芸術劇場第1回プロデュース「大砲の家」は泊篤志作・内藤裕敬演出で、東京・関西・九州の俳優が集まった。今年3月に長崎市の市民ミュージカルを構成・演出した岩崎正裕は、12月にやはり北九州芸術劇場プロデュースで泊の「冒険王」を演出する。「全国レベル」と言われながらも活躍の場に恵まれている訳ではない関西の演劇人が、発展途上とされる九州の演劇界に対して何が出来るのか。そして「全国レベル」の現代演劇が本当に生まれるのか。九州の中心から少し離れた諫早から見つめていきたい。(ほしの・あきひこ/会社員)

●-大阪の劇の営みの中での-ある演劇祭のこと粟田イ尚右 この大阪に《春演》と呼ばれて、もう28年も続いている演劇祭があります。正確には『大阪春の演劇まつり』と言います。秋には『大阪新劇団協議会』に加盟する劇団による『大阪新劇フェスティバル』が持たれ、大阪の《新劇(現代演劇)》の存在を示しています。その秋に対しての「春」というわけではないのでしょうが、今年も滋賀、名張からの劇団も参加し、18劇団が4月から、森の宮の府立青少年会館の『プラネットホール』を主会場に、各々の思いの丈を込めた舞台を競い、これまでに15劇団が公演を終えています。そして、あと3劇団の舞台が7月末まで続きます。(この冊子が出た頃には全部終わっている筈です。)
この演劇まつりを立ちあげ、主催しているのは《大阪自立演劇連絡会議》《財団法人大阪府青少年活動財団(ユースサービス大阪)》、そして今では殆ど大阪では実際的な活動は中止しているようですが、《日本アマチュア演劇連盟近畿支部》の三団体で、毎年の参加劇団からの『実行委員会』が具体的なプログラムを進めていっている様です。
この《春演》には、秋のフェスティバルのメンバーでもある『劇団未来』『劇団息吹』『劇団往来』そして、今年は上演参加できなかった『劇団大阪』など、大阪の演劇を何十年にも亘って担ってきた劇団も参加しています。これらの劇団を中心軸に、その参加劇団の大半は、所謂、<若い劇団>です。毎年、何劇団かが入れ替わり立ち替わり、新しい劇団の名前が並びます。「もうヤメテくれよ・・」と言いたくなる程の舞台をお披露目してくれる劇団もときにはあります。そういう劇団も認めての《春の演劇まつり》です。《職業(的)劇団》又は《専門集団》による演劇祭ではない、ということです。そうです、《市民演劇》による『演劇まつり』です。かつて、何十年か以前、《自立演劇(劇団)》や《サークル演劇(劇団)》或いは《地域演劇》(《アマチュア演劇》)とも呼称されていた劇団による『演劇祭』といっていいでしょう。
著名な役者が居る劇団でもない。朝晩のお茶の間のTVに見られる顔も見あたらない。そんな芸能ニュースは勿論、新聞等の芸能欄を飾り、賑わすには余りにも地味な劇への行動には違いありません。大方の人々を引きつけるには、ニュースバリューが低い、弱いのでしょう。そして事実、新聞、TVなどのマスメディアが、この『春演』を芸能欄や文化欄で報じることも殆ど無いようです。(私が朝夕、目を通しているA紙には、これまで全くと言っていい程にありません。)ですが、《春演》に参加して来ない、それこそ何百もの劇団の殆どが職業、プロとして成立できない大阪の現実の中で、《大阪の演劇》を語る上では、大切なプログラムの一つには違いないと思うのです。
持ち出しばかりの、儲かるなんて考えられない劇へのエネルギー。身銭を切っての行為です。自分に対して納得しなくては成立しない《劇への営み》です。舞台を駆けまわる若さだけの役者を観ていて、その劇の内容の良し悪しはともかく、屈託のなさに、演劇って、つくづく「魔物」だなァ、と思わずには居られません。そんな『春演』ですが、毎年、参加劇団の半数以上の劇団内創作が並びます。今年も12劇団がオリジナル作品で驚きますが、気になることが二つあります。
ひとつは、劇のしつらいが、仮想の世界であっても、その劇の当事者と劇の世界の『距離』の近さです。それは生きることの世界の小ささ、想像力の無さ、夢の無さではないのかと思ってしまいます。もうひとつは、そのオリジナル作品、戯曲が一回だけの上演で、その殆どが終わってしまうことです。まるで蝉の命のように-。何か悲しい、もったいない-。
そうした中で、作家集団でもある『りゃんめんにゅうろん』の『月見荘秘話』が、古アパートの各室の人たちの同じ時間にかいま見えた姿を描きながら、そのアパートの50年の時間を浮かび上がらせた、3人の作者によるオムニバス仕立ての舞台。そして、既成作品の舞台でしたが、細部に亘る実に綿密な解釈による演出で、或るサラリーマン一家のゆれ動く一日を描き出した『劇団未来』の舞台(ふたくち・つよし作『山茶花さいた』)が印象に残りましたが、来年の29回目の『春の演劇まつり』では、どんな舞台に出会えるのでしょうか。楽しみです。そして、『春演』こそが、《『生まれた土地』の演劇》という、かつて加藤衛さんが大切にしておられた言葉を立ち上がらせる舞台ではないか、と改めて思うのですが・・・・。(あわた・しょうすけ/演出者・演劇評論者)

●演劇の教育と俳優の養成 (2)                          菊川 徳之助 日本には「演劇大学」がない。驚きである。美術大学も音楽大学もあるのに、である。俳優やスタッフや演劇研究者を育成するという考え方が日本にないことが証明されていると言えるだろう。日本の大学は、<学部・学科・専攻・コース>といった設置の仕方になっている。「演劇大学」がなくとも「演劇学部」を設置している大学くらいはあると思う。ところが、日本の大学には「演劇学部」もないのである。<学部>として存在していないのである。わずかに「芸術学部」の中に「演劇学科」を設置している大学が三校あるにすぎない。つまり、<学科>の段階に来てやっと演劇が顔を出すというわけである。その他は、例えば、「文学部」(文芸学部・人文学部など)の中に「演劇専攻」を設置しているといったものが多い。文学部の中にあるということは、演劇の専門性が百%保障されていないことを物語っている。また、「演劇学科」という名称も昨今では、<パフォーミング・アーツ学科>といったような<演劇>という文字をともなわないものが目につく。
現在、日本の大学は七〇〇校もあるが、<実技>を伴った演劇コースを設置している大学は、関東地方に四校、関西地方に三校、九州に一校あるのみである。このほかには、短大が東京に一校、九州地方に一校ある。そして、学問(理論)面を中心にして演劇学を学ぶ演劇コースを設置している大学が、関東地方に三校、関西地方に一校、あるのみである。しかし、これらの大学は、ほとんどが私学であって、関西地方の一校を除いては、国立や公立の大学はないのである。国が演劇に全く無関心だと言っていい状態を示している。明治という新しい時代に、<演劇改良>もまた重要な課題として省みられた時があった。そして、この時に演劇が何らかの形で、日本人にとって大切な文化としての位置、演劇の位置を獲得できていれば、さらにはまた、教育の中にも演劇を設けることに成功していたなら、現代の日本は、経済面のみの成功ではなくーー今は経済破綻へ向かってまっしぐらかもしれないがーー文化面においても成熟した文化国家を形成していた可能性は大いにあったと思われる。明治期の失敗は現代まで尾を引いていると言えば、言い過ぎか。
芸術大学であるところの東京芸術大学や京都芸術大学に「演劇学部」があって当然な気もするが、そして、時には、「演劇学科」を設置する計画が浮上したこともあったようであるが、現実は、これらの大学に、演劇の科目が一つでも設置されていれば良い方という程度が現状である。昭和二十三年片山内閣の時、文化構想として<演劇>も入った芸術大学が構想されたようである。「現在の音楽、美術両校を統合、これに映画演劇教員養成部を加えた五学部として芸術大学をつくろうとするもの」(大笹氏の『日本現代演劇史』の東京新聞の記事より)、とある。片山内閣が総辞職しなかったら、現在の音楽、美術の東京芸術大学と違ったものが出来ていたかもしれない。残念である。
少子化で、授業料の高い演劇学科に進学希望する学生は、経済学部や法学部には程遠いが、それでも、将来の俳優や演劇人を夢みて受験する学生は毎年いる。作家の五木寛之氏がいつぞや新聞紙上に、金沢に演劇大学をつくりたい、と言った記事が出たことがあった。金沢には確か美術大学があり、芸術の匂いのする街である。しかし残念ながら、今日まで金沢に演劇大学が出来たとは聞いていない。ある時期、演劇実践教育として画期的な大学が出来た時があった。それは、劇団俳優座付属の俳優養成所が、短大ではあるが、2年制で、さらに専攻科2年で、大学並みの4年間となる学校に移行された時である。現場の演出家や劇作家、俳優などが、大学で演劇を教えるのであるから、演劇教育そのものが少ない日本の現状には、紛れもなく画期的なことであった。そしてなによりも、この大学は、卒業生の中から劇団俳優座へ入団出来るという大きなメリット、特徴を持っていた。演劇専攻を持つ他大学からは、この短大の演劇専攻は、ただならぬ存在なのであった。何故ならば、他大学の演劇専攻生は、大学の演劇学科を卒業しても劇団に入れる保障は何もなかったからである。いや、それどころか、卒業生から見れば信じられないことであるが、四年間の演劇教育を終えても、劇団に入るためには、その劇団の付属の養成所へもう一度試験を受けて入らなければならないのである。そして、もう1年なり2年なり、大学の演劇学科で学んだと同じような基礎訓練や演技訓練を受けなければならないのだ。しかも、大学の四年間授業料を支払って来たのに、また再び劇団の養成所へ授業料を支払わねばならないのである。日本の現状は、演劇専攻を持つ大学の卒業資格と劇団の俳優になれることとは、直結していないということなのである。この現状は、演劇人養成の環境としては、実によくない状態である。不幸である。勿論そこには、国家が何もしない状況では、劇団の自分たちで養成所を造らざるを得なかったという劇団の事情があり、大学の演劇教育に信頼を置く環境になかったことも考えねばならないだろう。そしてまた、俳優座が再び劇団自身の養成所を復活するという状況も現れた。大学の演劇教育に問題ありと、これは考えねばならない事態なのか。大学の演劇教育は、どのような問題を抱えているのか、その検証も必要であろう。大学の演劇教育の現況、問題点をもう少し考えてみたい。(きくかわ・とくのすけ/近畿大学演劇専攻教授)

■演劇書評
●杉山太郎著『中国の芝居の見方』に寄せて                      藤野真子 本書は3年前に交通事故で急逝した杉山太郎氏の遺著である。思えば、杉山氏と会うのは、いつも中国であった。初対面は1995年の正月、本書でも触れられている「梅蘭芳・周信芳生誕100周年京劇公演」(第二章で言及)の上海公演の場であったが、当時の私は博士課程の院生で、演劇研究を志しつつも実地の観劇経験に乏しく、実に語り甲斐のない相手だったことだろう。しかし同年、上海での留学生活を始めた私にご馳走して下さったばかりか、ご自身が興味を持たれた書籍(第五章・書評で取り上げている樋泉克夫著『京劇と中国人』)を贈って下さるなど、のちのちまで何かと心にかけて頂いた。本書では一カ所、「上海の演劇の専門家」という実態を慮ると汗顔ものの名称で私の名が一瞬登場するが、生前、「上海京劇に着目するとは面白いセンスの持ち主だ」と評されて(?)いた旨聞いた。氏から真意を伺うことはできなかったが、あらためて本書の、上海京劇院『狸猫換太子』三本を日本で通し公演するなら二五〇〇〇円でも安い!というくだり(第二章「第二回京劇芸術祭を見て」)などを読むと、それも少しはわかるような気がする。
前置きが長くなってしまったが、肝心の本書の構成をまず紹介すると、第一章「戯曲を見るということ」、第二章「中国演劇時評I」、第三章「中国演劇時評II」、第四章「中国演劇論」、第五章「書評」、附章「日本語教育・人口論」の六つの部分に編集されている。実質的には、越劇を中心に杉山氏の中国演劇観がいかんなく披瀝されている第一・第四章、そしてこれもこまめに現地に足をはこんだ氏にしか書き得ない第二・第三章の劇評・観劇レポートの二部構成といってもよい。特に後者はボリュームに富み、伝統劇・話劇と劇種を問わず多くの舞台について書きとめた極めて魅力的な文章群であるが、これについては他に相応しい発言者があろうと思うので多言はしない。少し記しておくと、氏は個々の劇種や演目、俳優、演出家に関する豊富なデータを脳裏にストックしておられたが、芝居の善し悪しに関してもその蓄積に基づき、決して安易に妄断していないことが、これらの文章、特に贔屓にしていた劇団や俳優への冷静な批評から見て取れる。一方、「初対面」の舞台については、努めてフェアなまなざしを保とうとすると同時に、何らかの旨味にたどり着くまでしゃぶりつくしてやろうという貪欲な姿勢も強く感じられる。表面だけを撫でて「こんなものはダメだ」と切り捨てることはしないのである。
杉山氏は中国演劇に対峙するスタンスを潔すぎるほど明瞭に示した人物である。「中国の伝統演劇では、昨日と変わらない今日の舞台には価値がないと、かつて来日した中国京劇院の俳優から聞かされ、その新しい試みにこそ価値を認めようとするのが、筆者の立場である」(本書6頁)という宣言からも、その一端がうかがえる。そして、この直後に述べられる「だからといってそれは、何が何でも新しければよいということではない。あくまで伝統に立脚してということが条件になるのは当然であり、それはそもそも『伝統』ということ自体を重視しない越劇を見る場合でも同じことである」という言を皮切りに語られる冒頭第一章の越劇論(『火鍋子』連載「戯曲を見るということ」)こそ、本書の圧巻であると言える。実際、その商業性やきらびやかなイメージばかりにとらわれて、越劇をまともな研究対象として見ようとしない人々が、アカデミズムの「ギョウカイ」には結構多い。しかし、杉山氏の叙述と重なる部分もあるが、私が見るに、発展時期および場所の特殊性、上演形態の変遷、演目の傾向と思想性、他メディアとの連携性、何よりも残存資料の質・量からして、これほど多様な論を展開しやすい劇種は他に無い。
こと本章における杉山氏の論考で興味をひかれたのは、越劇の主流である女子越劇と、ある種異端的ポジションを占める男性役者の混じる越劇との差異を論じた部分である。「女性のための演劇」である越劇が求めた、「現実社会には存在しない女と共に闘う同志としての男」、つまり「舞台の上にしか存在しない女の夢の結晶」を演じうるのは女子小生のみであると杉山氏は断言する(11〜12頁)。そしてこのように作り上げられた男性像に対する「女性観客から掛けられる思い」に、俳優の実際の性別により「本質的な差異」が生じることを一つの根拠として、趙志剛に代表される「現実の」男性が舞台に立つ越劇を別の劇種と見なしている点には、何かと考えさせられるものがあった。個人的にはここから、歴史も性質も観客の嗜好も越劇とは大きく異なるものの、民国期を境に男旦から女旦へ移行した京劇の場合、同様の変質を見出しうるのかということを考えてみたくなった。 他にも示唆に富む箇所は多数あるのだが、ここで紙幅も尽きたので、また別の機会に譲ることとしたい。
杉山太郎『中国の芝居の見方-中国演劇論集』(好文出版 2004.6 3800円)(ふじの・なおこ/関西学院大学)


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●編集後記 『あくと』2号をお届けする。創刊号は編集に手間取り5月31日発行になったが、2号は8月上旬にお目見えする筈である。これが本来の発行時期で、以後、3号は11月上旬、4号は05年2月上旬発行というスケジュールになる。
創刊号は、いろいろ反省も多いが、ともかく世に出すことができた。驚いたのは、AICT日本センター公式サイト掲載の案内をみて、定期購読を申し込んでくださった方が何人もいたことである。これ以外にも、定期購読者は順調に拡大している。これほど編集の励みになることはない。とはいえ、安定した有料発行部数にはまだほど遠い。これからも定期購読者獲得に努めたい。
『あくと』は関西という地域に密着した演劇批評誌であるが、関西の問題しか取り扱わない雑誌にする気はない。関西から、全国、全世界に向けて問題提起できる雑誌にしていきたい。執筆者も、関西在住者を中心にはするが、それに限定するつもりもない。今号では九州在住の星野明彦氏に寄稿していただいたが、これからも、関西以外の地区の筆者による原稿も掲載していきたい。
とはいえ、『あくと』の一番の課題は、持続させることであろう。思い切った特集を組んだり、もっと分厚くしたり、発行回数を増やしたりしたい気持ちもあるが、この種の刊行物は続かなければ意味が半減するのである。『あくと』の現在の体裁も、まず長続きさせることを前提に作られている。そして、歩きながら考え続け、少しづつさらに良い雑誌にしていきたい。これからも、読者の皆さんのご支持をお願いしたい。(瀬戸宏)
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(web版では関西支部会員名簿は省略