act5号

■巻頭言
海外に出る現代演劇
太田 耕人
昨年9月にソウルで演じられた松田正隆『海と日傘』(アルングジ小劇場)が、第41回東亞日報演劇賞・作品賞を受けた。前年に京都芸術センターで上演された同作韓国版と同じく、ソン・ソノが翻訳・演出。二千人の観客を集めた。
平田オリザは韓国で『ソウル市民』や『その河をこえて、五月』で名を馳せるが、フランスでも翻訳され、評価が高い。『東京ノート』が 2000年にパリ(フレデリック・フィスバック演出)で19日間公演された。ロシアでは三谷幸喜『笑の大学』が人気だ。99年夏、オムスクでの上演を機に、今年はサマラやモスクワ、ベラルーシのミンスクでも演じられている。

翻訳上演だけではない。青年団は03年10月、『東京ノート』をパリ日本文化センターで字幕上演した。燐光群は今年1月末から2月中旬、坂手洋二『屋根裏』(字幕)でニューヨーク、マイマミ、ピッツバーグを巡演。『神々の国の首都98』以来の米国公演を果たした。宮本亜門は日本語の『太平洋序曲』を02年、NYのリンカーンセンターとワシントンDCのケネディ・センターに掛けたが、昨秋から今年2月にかけて、今度は同作の原語上演をブロードウェイ(Studio 54)で演出した。
かつて演劇の海外進出は、ごく例外的な出来事だった。それが一般化しつつある。ことばの制約があるから国境を越えるのはムリ、というのは迷信だった。だいたい、日本では外国演劇が翻訳や字幕で演じられ、外国人演出家も活躍しているではないか?日本の現代演劇は、海外戯曲のみならずカフカやマルケスなど現代文学の養分も吸収して、世界の第一線にある。加えて、日本劇作家協会が『現代日本の劇作・英語版』を刊行し、さまざまな団体が日本戯曲を海外でリーディング上演するなど、地道な発信の努力がされてきた。アイホールがスコットランドのトラヴァース劇場で、鈴江俊郎や土田英生の作品をリーディングしたのも一例だ。

一方、日本の演劇批評が外国語に訳された例を聞かない。柄谷行人氏の文学批評が英語で通用しているのをみても、「ことばの制約」を言い訳にはできまい。『現代日本の演劇批評・英語版』のような出版物を望みたいが、代表的な演劇批評の選集自体、日本でそもそも編まれたことがないように思う。日本の演劇批評の水準を見極めるためにも、AICTが企てるべき事業ではないだろうか。
(おおた・こうじん/京都教育大学教授)

■劇評
●狂気を内に抱える-WI’RE「CROSS2(⇔)」
中西理
WI’RE「CROSS2(⇔)」(サカイヒロト構成・演出・美術)を大阪港・中央突堤2号上屋倉庫内の<仮設劇場>WAで観劇した。<仮設劇場>WAは昨年行われた「小劇場のための<仮設劇場>デザインコンペ」により大賞に受賞した作品を実際に製作したもので、これを大阪港の倉庫の中に設置して、今年の4月から6月の3ヵ月にわたって12団体が「大阪現代演劇際」として連続公演を行うのだが、このWI’REの公演が実質的にこけら落としとなった。
今回の公演は1年を通じて物語と演劇の可能性を探るという連続公演「スカリトロ」シリーズの一環として企画されたもので、この「C ROSS2」は全体として3つのフェーズに分かれたシリーズの2番目の段階。第1のフェーズはJUNGLE iNDPENDENT THEATEREで上演された「DOORDOOR」と題するリーディング公演。第2フェーズとしてはすでに昨年末、大阪芸術創造館の全館を使うインスタレーション(美術)&パフォーマンス公演として、「CROSS1」が上演されたが、この「CROSS2」は同じ物語と登場人物(キャラクター)、テキストを共用しながら、まったく異なったアプローチでの上演を試みたきわめて実験的な舞台となった。
「スカトリロ」シリーズはこの後、伊丹アイホールで予定されている「H●LL」でこれまでの集大成としての第3のフェーズへと続いていくことになる。

舞台を見るにあたって、この舞台がそういう位置づけの作品であること。そして、313本のポリエチレン性エアチューブと布のカーテンで区切られた円形劇場というきわめて特異な空間で上演されること。以上の2点から、この作品自体が演劇の普通の上演形態からするとかなり異色な内容となるのではないかという期待で公演に出かけたのだが、その期待は残念ながら裏切られた感があったことは否定できない。
まず、空間の使い方からすれば円形の劇場の壁側のところに観客席(それは通常の客席ではなくて、床にそれを敷いて座る座布団ではあるが)が設けられ、中央の開けた空間がアクティングエリアとなり、白い波状の壁の部分に映像が時折映し出されるという青山円形劇場などでも時折見られるようなきわめてオーソドックスな円形劇場の使用法でしかなかったこと。もちろん、そういう風に使うこと自体がだめだということではなくて、ラディカルな実験性が期待された公演だっただけに期待はずれだったのだ。

もうひとつはこちらの方が今回の舞台だけでなく、以前からこの集団の上演を見て感じていたことなのでより根源的な課題でもあるが、この集団にはまだ表現の核となっていくような独自の身体論、身体性がなされていないのではないかと思われたこと。サカイヒロトは関西では珍しく、むきだしの狂気をその内面にかかえている劇作家で、そこに彼に対する期待がある。この「CROSS2」もエピソードは断片に分解・分断されているが、その中心となるのは多重人格と思わせる「獏」と呼ばれる人格をそのうちに抱え、かつての連続殺人事件の犯人と思われる女とそれを追う被害者の父親と名乗る男というある意味、昨今の状況を反映したような人物たちである。
狂気を内に抱えたということでいえば関西では遊気舎時代の後藤ひろひと、クロムモリブデンの青木秀樹の名前が挙げられるが、サカイがこの両集団にかつて俳優として所属したことがあったということはけっして偶然ではない。これらの作家の持つ狂気とサカイがシンクロしていたということがあったに違いない。しかし、これらの両集団にはそれぞれその狂気を体現するような俳優がいて、それがある意味その舞台の演技の規範をつくっていたのに対して、残念ながらこの舞台ではそれを体現するような俳優は存在しなかった。

もっと正確にいえばいずれも客演である遊気舎の西田政彦、ZLVZXの久保亜紀子、BABY-Qの東野祥子といった俳優(パフォーマー)らはその資質や特異な身体性などからして、うまくところをえればそうした魅力を本来は発揮できる人たちなのだが、この舞台ではおそらくサカイヒロト個人ならびにWI’REという集団と彼(彼女)らの関係性(の薄さ)からそうした魅力を舞台で体現することはできなかった。
もっとも、こうしたことは集団のメンバーが体現すべきことであり、内部のパフォー
マーも過去に別の作品での演技を見た限りではそうした資質がないわけではないのにこの舞台ではあまりそれが見えてこないというもどかしさがあった。
それでもサカイの狂気の資質自体は得がたいものだと思うので、今回の公演は途中の段階として、狂気と集団としての身体性が次の「H●LL」でどのように立ち現れてくるのか。期待して待ちたいと思う。
(なかにし・おさむ/演劇舞踊評論家)

●<さりげなさ>の中に潜む、その怖さ
-舞台創造集団りゃんめんにゅーろん-み群杏子・作『ひめごと』

粟田イ尚右
夕暮れの夕日を浴びて杏の木の庭に立つ若い男女。仕事でアメリカに旅立つ男と、その男の子を宿す女。男が云う。『このまま?、俺たちは兄妹かも知れないんだぜ。』女が答える。『そうね。』男『いいのか、それで?』女『仕方ないじゃない。・・・この家で母さんと、私と、二人でえいえん(永遠)という名の花を植えて暮らして来たの。本当のことを知っているのはこの家だけ。花が咲いて、木が茂って、枯れて落ちて・・・「ひめごと」も時間と一緒に、母さんから私に、私の赤ちゃんに。輪廻のように・・・』男『赤ちゃん?まさか・・・』女は自分のおなかを愛しそうに撫でている-。明るさと静けさの中で交わされる会話。舞台はスッと突き放す様に、劇を〆括る。その切って捨てる様な劇の終わり方に、一瞬、息を呑み込む。この女性劇作家に男では考えられない、そして、書きづらい言葉がいとも簡単にとび出してくる其処に、女の強く、思い性(さが)を感じさせた舞台だった。

父を知らない娘・翠と、女手一人で娘を育て、この古い<家>で生きて来た教師の未散。そこに30年前に行方不明になった写真家・藤崎信の消息を調べているルポライターの青年が、未散と交流のあった事実を知り訪ねてくる。このルポライターと藤崎二役を南出謙吾が演じている。一時間半程の『小品』の感を抱かせる舞台だ。それは劇の内容とつながり、舞台が日常的なトーンで淡々と流れるからだろう。観終わって、劇を堪能した満足感が無い。だが、その「劇」の構造とストーリーは屈折し、頁が一枚一枚めくられて行く様に『劇』の思いが舞台に30年の時間が彷徨し、蘇っていく。
かつての時代、劇は対社会との関係、つながりの中で、人間の生きる姿や人生の、その行動を描き出すことだった。だが、30年の歴史的時間を持つ筈のこの劇には、そうした社会的背景や、劇の中の人々の行為から立ち上がる観客への問題提起などは全く無い。いや、必要としない。一見、このささやかな劇の世界は、その香り、肌合いで、それこそ「今」という現実の時間とは無関係に、彼独自の劇の時間、時空を存在させていく。そこに見えるのは、この古い家に生きる母娘の「今」と、そこにつながる30年前の時間であり、劇はその二重の時間を往き来するだけで、其処から何処にもつながり拡がらないのが、もどかしい。ドラマは動き出さない。

この作者の劇世界には、劇中人物の生きている《時代》《社会》の相は、どの作品にも見えてこない。在るのは、劇中人物と劇の其処に存在する『時間』だけだ。そして、この戯曲も同様に変わらない。
この作者は文化庁主催の『舞台芸術創作奨励賞』を1994年『心ごころのアドレス』、1995年『ポプコーンの降る町』で2年連続で受賞して以来、コンスタントに作品を書き続けている人だが、凡そ、時代や現実を越えた時空に浮遊する、取り留めのないメルヘンを夢見る少女を描いていた初期の作品と比して、この作品は確かに現実的日常には違いない。だがそれは、古びた日本家屋の中での<場>の設定によるにすぎない。舞台はこの劇を彩る人達固有の時間だけになっていく。この作品もまた、劇を外に向かって拡げないのが残念だ。必要なのは30年の時間を抱えた二重構造とも云える戯曲が、劇として、舞台の上で、どの様に役者連の演技を成立させ、劇の人間の絡み合う関係が《存在》として表現されたかーと云うことではなかっただろうか。だが、残念ながら、日常生活の風景の或る部分を切り取って、舞台に置かれただけの様な、何も起こらずに流れるだけの舞台からは、この“ひめごと”が秘めて来た人間の《性》は、各々の役の人物の表現の在り方と相俟って、立ち上がって来たとは云えない。

母・未散(林ゆかり)には、30年の人生が見えない。幕が上がった、その「今」だけで戯曲を追っていく。
翠とみちる(未散の30年前)の柏原愛も愛らしさと、相似性だけの存在で、この劇の時間の《量》の説明的存在でしかない。この古い家で、其処に生き続ける女の本性の強さを出し切れない。
南出もまた、本来の真面目さの延長で、即物的に二人の人物を行き来するだけで、まったく《顔》が変わらない。同一の舞台の場の中で、同じ顔でありながら、存在が異なる人物であってほしかった。そして、30年の昔を知る筈の下宿人・峠も、舞台を横切るだけのワンポイントの存在の鮮やかさに乏しい。唯一人、《ひめごと》の目撃者であったかも知れないのではなかったか。勿体ない。
作者の舞台への思いはどうだったのだろう。“ひめごと”という言葉自体が内包する『質感』が、結果的に舞台に息づいていかなかった様に思えた。

こうした舞台への思いと併せて、この戯曲(舞台)に限らず、その上演する戯曲にとっての《場》としてのホール(劇場)の選定の重要さも、改めて考えさせられる舞台だった。きっちり立て込まれた舞台の設えは気持ちがよかっただけに、「プラネット・パプリックホール」という劇空間は、この戯曲が要求する世界と時間を立ち上げるには無理があったのが残念だった。
(あわた・しょうすけ/演出者、演劇評論者)

●二人芝居の魅力——笑いと涙『父と暮らせば』——
市川 明
戦後60年。広島、長崎に原爆が投下され、28万人の人命が奪われてから60年たった。アメリカは第二次世界大戦を終結させるための正当な措置だったとして、一言も謝罪することはなかった。被爆した人が浴びた放射能は子孫にも影響を及ぼし、多くの人が白血病で亡くなっている。
アメリカはその後もベトナム戦争で大量の枯葉剤を散布したのをはじめ、90年の湾岸戦争以降、アフガニスタン、イラクと立て続けに無数の劣化ウラン弾を発射している。撒き散らされたダイオキシンや放射能は、現地住民やアメリカ帰還兵に深刻な影響を与え続け、白血病、癌、内臓障害から記憶喪失に至るまで「死の病」を生み出してきた。手足のない子や、身体機能に欠陥を持った子も多く誕生している。アメリカはそれでもまだ「正義の戦争」とやらを続けるのだろうか。ブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』で従軍牧師が言う「戦争というものはいつでも逃げ道を見つけるものさ」という嘆きが、今もなんとリアルに響くことだろう。

『父と暮らせば』は井上ひさしが平和への願いを込めて書き上げた、原爆劇の第一章である。「あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだ」と井上は考え、「おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう」と述べている。広島の原爆で父や多くの友を失った娘が、幽霊として出没した父と会話を交わす、ユーモアあふれる二人芝居である。何気ない会話の中に、戦争の残した深い傷跡が感じられ、井上ならではの笑いと涙を呼ぶ。
今回は劇団未来の代表者、森本景文が演出し、読売テレビを退職した木田(ぼくだ)昌秀が「父」として役者デビュー、劇団大阪の岡部紀子が「娘」を演じる。会場は劇団未来のスタジオで、5〜60人入る小さな芝居小屋は満杯だ。板坂晋治のやや斜になったレトロ風の舞台装置が、芝居前から強烈に観客に語りかけてくる。

舞台が開くと、雷鳴がする中を娘、福吉美津江が家に飛び込んでくる。白い木綿のブラウスに青いかすりのモンペ姿。稲光りに「おとったん、こわーい!」押入れが開いて上段に父、竹造が姿を現す。白い開襟シャツのえりが見える国民服で、雷よけに座布団をかぶっている。「ドンドロ」や「ピカピカ」に娘は、原爆のトラウマを重ね合わせている。父が「おとったんと押入れと座布団を味方が三人もいるから大丈夫」と励ます。井上らしい巧みな出だしだが、演出はもっと誇張して光の明暗を示してもよかったのかも知れない。この時点では父親が幽霊であることはまだわからない。
娘が出す麦湯も饅頭も、父親は「わしゃよう飲めんのじゃけえ」「わしゃよう食えんのじゃ」と断り、娘も「あ、そうじゃった」と言う。このあたりから少しずつ娘と父親が異次元の世界に暮らしていることが明らかになっていく。原爆の資料を集めにやって来た木下という青年が話題になる。図書館で働く娘に思いを寄せる青年と、好きなのに飛び込めない娘。二人の出会いから、愛の告白までが、父と娘の会話によって再現されていく。

自分だけが生き残ったという負い目から、娘は「幸せになってはいけんのじゃ」と言い聞かせている。生まれてくる赤ん坊への心配もある。そんな娘を見るに見かねて「恋の応援団長」として、父親はあの世から戻ってきたのだ。「娘の青年へのときめきが、わしの胴体を作り」「娘のため息から手足が」「木下にまた来てほしいという娘の願いがわしの心臓を作った」と言う。岡部の透き通った明るい声と、木田の紗がかかったようなくぐった声が、二つの世界を表し、独特のハーモニーをかもし出している。
下手に台所、中央に押入れのある茶の間、上手に書き物机の置かれた部屋がある。三つの空間がそれぞれ重要な役割を果たしている。子どもたちに語り継がれた昔話をするために机に向かって準備する娘。木下のためにといって台所で「じゃこ味噌」を用意する父親。話は原爆投下の日のことになる。原爆の悲惨さが会話から浮き彫りにされる。昔話同様、語り継がねばならないことである。木下への結婚を勧める父親は、「幸せを勝ち取ろうとする」積極的な娘と、「幸せから身を引こうとする」消極的な娘という二つの分身の、前者を肩代わりしているのかもしれない。

木田はそんな父親を好演している。彼は静かに、かつ力強く第二バイオリンを引いている。「目立たぬように、気負わぬように」。岡部はやや単調だが、素直な明るさがすべてを打ち破り、素晴らしい舞台を作り上げている。観客席は笑いと涙に包まれた。娘の最後のせりふ「おとったん、ありがとありました」は深い余韻を残し、生きる力を与えてくれた。
ションディは「ルネッサンス以降に生まれた近代劇は、人間関係の再現を目指すものであり、それは対話劇によって作られる」と言う。対話が最も緊密な形で現れるのが二人芝居であり、井上の芝居は二人芝居の魅力を余すところなく発揮している。黒木和雄の映画では、青年木下が登場するがそれによって力点は二人の恋の会話に移ってしまう。父と娘の二人芝居のほうがはるかに重厚である。同じことはしりあがり寿のコミック・小説「真夜中の弥次さん喜多さん」を二人芝居にした天野天街(少年王者館)と壮大なスペクタクル映画に仕上げた宮藤官九郎にも言える。芝居のほうがクドカンより多くを語っているのだ。 〔3月31日、「未来」スタジオ。ボクとアナタの会プロデュース〕
(いちかわ あきら。大阪外国語大学教授、ドイツ演劇)

●終わらない昭和の物語。死者をして語らせよ!
くじら企画 『サヨナフ』-ピストル連続射殺魔ノリオの青春-
柳井愛一
2002年の10月にウイングフィールドで公演された作品の再演。
十三階段を昇る足音、床の板が外れる音。連続射殺魔、永山則夫の刑の執行が暗示され芝居は始まる。コロス達が犯罪現場の遺留品を子供のお遊戯の様に奪い合う。その場限りの犯罪の残滓。決して一人の男の持ち物だとは結びつかないガラクタ。そんなガラクタの中から一人の少年がやってきて、自分の人生も他人の人生も反古にしてしまうことを暗示するプロローグ。

永山則夫と思しき男(風太郎)のアパートに見知らぬ人たちが秘密集会のために集まってくる(石川真士・栗山勲・えび・飯島和敏)。物語が進み連続殺人事件の経過がはっきりしてくると、彼らは永山によって殺された警備員やタクシーの乗務員たちだということが分かる。しかし男=永山には彼らが誰か分からない。彼らが現れた理由も分からない。そしてこの部屋が、最後に借りていた東京中野区のアパートではなく死刑執行を待つだけの独房であることも分からない。彼らを追い出そうとする永山の前に、既に死んだはずの姉(藤井美保)や母親(後藤小寿枝)が現れ、集まった人たちをもてなそうとする。乾し饂飩を啜り合う貧しい奇妙な団欒。この物語は、団欒の風景を求める独りぼっちの心の遍歴の物語なのだ。死んだ人たちに囲まれた卓袱台が印象的。

少しずつ不幸な一家の歴史が明らかにされていく。少年・永山則夫(川田陽子)の物語と、中年死刑囚・永山則夫の物語が錯綜として展開され、孤独で不幸な人生に翻弄され、人殺しにしかなれなかった愚犯少年の哀しさが、自らの傷口を舐めながら被害者意識を肥大させていく哀れさへと変貌していく過程がリアルに描かれている。大竹野は(いや役者たち全員が)永山の愚かさから目を背けない、背ける権利など誰にもないと云っている様だ。直視すること、文学者でも自称革命家でもない永山から目を背けないことが重要。難しい役を風太郎が好演。勿論実際の永山は文学者として甦生したのかもしれないのだが、それで連続射殺魔としての過去が清算できる筈もない。取り返しの就かないことが起こってしまったことを直視することが重要なのだ。
大竹野作品にはいつも帰る事のできない「オウチ」が出て来ていた。しかしこの作品ほど「帰りたいオウチ」が切実に求められたことはない。この芝居で描かれた永山は「オウチ」を求めて何度も家出をする少年なのだ。冒頭の刑務所内で幻の一家団欒が、彼の居場所が結局そこにしかなかったことを表していると思う。お客さんをもてなす母や姉がいるオウチを彼は多分一度だって持ったことがない筈だ。憎悪と思慕が交じり合う。酷く惨めな家族の物語を通じて『オウチ』のテーマがより深く追求されて行く。

オウチを探す旅の最期は、幼い頃に過ごした網走の港の夢、狂い死にした姉と過ごしたある日の出来事。母親は姉弟を置き去りにして青森に行ってしまった。カタカナしか書けない母の置き手紙の最後の言葉『サヨナフ』。ぎこちない字のせいか、カタカナも満足にかけなかったのか、サヨナラではなくサヨナフ。おかしい、笑えないくせにおかしい。
少年永山が流氷の上からサヨナフを叫びながら自らの遺骨を網走の海に播くラストシーンは遺灰がキラキラ輝き美しい。そして実に切ない。川田陽子が演じる少年・永山は哀しさと純情さが混じりあい印象的。-汚れつちまつた悲しみに-という中原中也の有名なフレーズがふと浮かんできた。再び十三階段を昇る音と床が外れる音が響く。
ところで犯罪を描いた作品では殺された人たちの悲しさが置き去りにされてしまう傾向があるのだが、大竹野は巧くそんな悲しみを汲み取っている。ひょうひょうと死者たちは自分たちの日常を語る、その後で彼らの理不尽な死が描かれる-初演の時よりも繊細で真摯な表現がなされていたと思う-。殺された男達が永山をセンセイと呼んでいる。永山のその後の言動によって、勝手にプロレタリアートの同志予備軍にされてしまった被害者たちの、たとえ永山の悪夢・妄想の中であっても、精一杯の復讐なのだろう。彼らの宙ぶらりんになって終わってしまった生の悲しさが見えてくる。死刑執行の前日、暗い部屋の中で彼らがクスクス笑い出すシーンは不気味でやるせない。このあたり台本の力だけでは表現できない、役者の技量の問われるところ、芝居の醍醐味だと思う。

くじら企画は本当に役者に恵まれている。
公演後に4月に急逝した高田渡がが唄う、永山則夫の詩「みみず」と「手紙」が流れていた。死者たちに黙祷。「昭和の日」というのが出来るそうだが、くじら企画が描く「昭和の犯罪シリーズ観劇の日」にしたほうが良いと思うのだが、いかがなものか?。
〔くじら企画 『サヨナフ』 作・演出/大竹野正典 ウイングフィールド 3月26日(土)〕
(やない・あいいち/演劇ライター)

●妹と核兵器、ダンスホールと核戦争-ニットキャップシアター『美脚ルノアール』-
正木喜勝
数年前に相次いだ閉鎖ラッシュから一転、今大阪はちょっとした新劇場ブームとなっている。「<仮設劇場>WA」もその一つで、海遊館のすぐ近く、港区海岸通1丁目中央突堤2号上屋倉庫内に現れた。これはコンペを勝ち抜いた建築家五十嵐淳の設計によるもので、円形劇場である。劇場と外を区切るのはポリエチレン製エアーチューブとオーガンディーのカーテンだけで、境界が曖昧なのが一つの売りとなっている(といってもこの円形劇場は倉庫内にあるため、境界の曖昧さが少なからず失われているように思われる)。この劇場を使って4月から6月まで、大阪現代演劇祭の一環として12団体の公演が連続上演されるのだが、その2番目、ニットキャップシアターの『美脚ルノアール』をみてきた。

ニットキャップシアターは1999年に旗揚げされた若手劇団である。京都での活動が中心だが、最近は大阪での公演も増えている。劇作・演出・俳優をつとめる劇団代表のごまのはえは現在28歳で、昨年『愛のテール』でOMS戯曲賞大賞を、今年初め『ヒラカタ・ノート』で新・KYOTO演劇大賞演出賞を受賞(大賞はニットキャップシアターが受賞)した、今のりにのっている演劇人である。そんな彼の新作『美脚ルノアール』を見逃すわけにはいかない。
観客が取り囲む円形舞台の床には、極東の地図が描かれている。開演までの間、東京の上を天井からぶら下がった大きな金属球が振り子のように揺れている。劇が始まるといきなり、東京に原爆が落とされたことが告げられる。先に北朝鮮が核保有宣言をしたが、その後、日本の経済制裁発動、北朝鮮の宣戦布告、アメリカや日本などの連合軍の攻撃(日本は例によって「後方支援」という形式)、北の政権崩壊、連合軍占領、反米・日デモ、ゲリラ、義勇軍、泥沼化、そして東京への核投下、という極東の事件が軽快な音楽とともに語られる。

その投下直後の2006年4月の第三週つまり現在から一年後の、日本海に浮かぶ小島「猫またぎ島」が舞台だ。金子家は父母と三兄妹の五人家族で、祖母はつい最近死んで葬儀が終わったばかり。長男正浩は町役場の島民生活安全課主任として働く公務員であるが、法律改正で拳銃の携帯を許されている。次男春彦は行方不明だったが、新潟での目撃情報のあと実家に戻ってきたところである。彼は「北の工員」たちのリーダーをつとめており、この兄弟は敵同士となる。妹桜は大阪の専門学校に通っていたが、祖母の介護のために三年前に戻ってきており、現在は家事手伝いである。この妹が文字通りの「核」となる。
彼女は母から自分が「マイカク」であることを知らされる。マイカクとは、体内に核を埋められた人間兵器のことらしい。安っぽいSFのような設定といってしまえばそれまでだが、このマイカクには実は奇想天外な秘密が隠されている。マイカクは今や全世界に広がっているのだが、その宿主はみな妹で、妹としての理不尽性をどれだけ経験しているかに核兵器としての威力が比例するという。すなわち、「我慢強い」「気だてがよい」「疑問を持っても声には出さない」というような強い責任感と不満をもっていればもっているほど、攻撃力が増すのである。

このあまりにもばかばかしい設定のおかげで、核の危機という地球規模の問題が、家族内の妹の立場という極小的な問題とすりかえられながら、そのギャップによって笑いだけでなく、意外な効果も生まれていた。彼女は妹らしい犠牲の精神から日本のために核として戦うことを受け入れようとするが、反旗を翻して「連帯せよ、妹たち!」をスローガンとして、自分たちマイカクの脅威を武器に「世界同時武装解除」を全世界に求める。しかしその革命家としての姿に、妹という束縛からの解放を求める極めてドメスティックな姿を見事にダブらせ、核の抑止力を用いた世界平和などばかげていてありえないということが、シニカルな笑いの隙間から染み渡ってくる。結局、彼女はよりを戻しにやってきた恋人によって投降する。
エピローグでは、冒頭と同じようにその後の極東の状況が語られる。北朝鮮とアメリカの和解、アメリカ・中国・ロシアによる日本列島の分割統治、福岡・静岡・札幌を首都に三国家が誕生、ゲリラ、泥沼化……。これは二年後の日本の姿であるが、興味深いのは、これらが、軽快な音楽、美しい照明、男女のダンスを伴って語られることである。開演前東京の上を行ったり来たりしていた金属球は核爆弾を表しているが、開演中は常に舞台の頭上にぶら下がっており、核の危機を常に匂わせていた。だが、ここではその核爆弾がミラーボールのようにみえ、円形舞台がダンスホールかのような印象を、少なくとも私には残した。妹と核兵器、ダンスホールと核戦争、異質なものどうしをつなげる斜に構えた戦争の描き方は、ともすれば戦争の危機を軽視していると批判されるかもしれないが、私には同世代の日本人として、この戦争に対する一種の距離感が非常にリアルなものだと感じた。それがたとえ今の切迫した状況においても、である。戦争に無関心というのではない。あまりにもばかげた現代の閉塞した状況に対して、シニカルな態度をとる以外にどうすればよいのかわからない、そんなことを痛感した舞台であった。
[2005年4月24日〈仮設劇場〉WA]
(まさき・よしかつ/ 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程)
■時評・発言
●教養としての伝統芸能
林 公子
大学という場で10数年間、能・狂言・歌舞伎・文楽といった主に演劇的な伝統芸能についての複数の講義を担当してきた。その過程で、私はこれらの伝統芸能は今日の多くの学生たちにとっては異文化の世界であると思うに至った。
極端なことを言えば、伝統芸能を知らなくとも日常になんの支障なく生きてゆける。自ら足を運ばなければ触れることもない世界。能=小面の写真、歌舞伎=隈取りした顔、のイメージ、言葉としては知っていても、頭の中に、人物が物を言い、動く像は結ばない。いざ実際に見てみれば、言葉はわからず、見慣れない着物を着て不自然な姿勢で立って歩き、音楽にはついていけず、時間は引き延ばされたようにゆっくりと進む。まさしくそれは遠い知らない異文化との遭遇にほかならない。

伝統芸能は、担い手にとっては間違いなく綿々と受け継がれてきた伝統なのであるが、哀しいことながら、今日の日本社会においては、学生のみならず実は多くの人にとって異文化なのではないだろうか。伝統芸能はいまやエスニックな「和」のテイストの世界に属しているのである。学生たちは、むしろそちらの「伝統」を受け継いでいるに過ぎない。
四半世紀前に書かれた今尾哲也氏の『歌舞伎を見る人のために』には、「二口村」の幕開きの梅川・忠兵衛のシーンをみた一人の観客が「あの二人、雪の中にはだしで立ってるわ」と叫んだというエピソードが引かれている。歌舞伎の虚構が表現として感じられなかったこの観客にとって、歌舞伎は理解を超えた異文化の世界に思えただろう。

このエピソードは最初の「約束ということ」という章に出てくる。どんな演劇にも「約束事」がある。舞台は虚構の世界であるからだ。しかし、ふつう舞台を見ている時に、これは演劇の約束事だと思いながら見るということは稀だろう。約束事と意識されることなく一つの表現として感得できなければ舞台の世界は享受できない。
ところが、歌舞伎に限らず伝統芸能の場合、どのジャンルであれ、初心な観客が舞台を見るために約束事が解説されることは半ば当然とされている。これは観客の側の享受の伝統が断絶しているからに他ならない。今尾氏はそのような観客を「見方の伝承から断ち切られた観客」と呼んだ。表現への理解が受け継がれていないのだから、それは観客にとっては「伝統」芸能ではなく、むしろ異文化だと言わざるを得ないだろう。
だが、異文化は知り、理解することが可能な世界でもある。だからこそ、『歌舞伎をみる人のために』は続けて歌舞伎の世界を形作る基本的な約束について説いてゆくのである。

ところで、教室で異文化である伝統芸能と向き合う学生たちは、授業という枠組みの中で、異文化理解の過程を見せてくれる。伝統芸能作品のVTRを、ほとんど初めてきちんと見る学生たちの享受の程度は、いわゆる約束事をあまり意識せず作品世界を感得する者から、言葉がほとんど聞き取れず、物語についていけない者まで、最初はまことに様々である。しかし、作品の内容を理解した学生でも、その表現に対しては内心ではなんらかの違和感を感じている場合が多い。曰く、狂言の登場人物のあの中腰で前屈みの姿勢は可笑しい。これは笑いを取ろうとしているのだろうか? 曰く、文楽の人形は顔が小さくてプロポーションが不自然で、少し怖い、等々。
しかし、何本かの作品を見ていくうちに、こうした最初に感じた違和感は消えてゆき、やがて表現としての巧拙までが見分けられるようになっていく。言葉に関しても、授業でVTRを1年間見続けていけばだいたい聞き取れるようになる。私はできるだけ表現上の約束事を約束事として解説しないようにしている。学生たちの享受の程度が様々なので、彼らのVTRを見てのミニレポートを公開にすることで、たいがいのいわゆる約束事が何を表現しているのかは明らかになって、次第に表現としての理解が進む。こうして学生たちは、異文化は少しずつ分かるようになることを体験するのである。

このような経験は、知らない世界に対し自らを開いていくことへの端緒を開くと同時に、分かるということには主体的な関心と時間をかけることが必要であることをも認識させる。その意味で私は一人でも多くの学生に伝統芸能を見て欲しいと思う。今日、そこに伝統芸能を知ることの教養としての意味のひとつがあると思う。
(はやし・きみこ/近畿大学助教授・演劇専攻)

●「劇評シリーズ」を取り組んで
堀江ひろゆき
日本演出者協会関西ブロックが3回に渡って「劇評シリーズ」のシンポジウムを開催した。第1回目は昨年7月26日に会員同志が劇評について論じ合った。第2回目は11月13日に、国際演劇評論家協会(AICT)日本センター関西支部と提携して、「劇評はどうあるべきか—トークバトル」と題して、劇評家と造り手の8人のパネラーに討論してもらった。第3回目は今年2月16日に、「メディアと劇評」と題して、3名の若手演劇担当記者の方に忌憚なく語ってもらった。
演出者協会関西ブロックが「劇評」について問題意識を持ったのは、関西発信の演劇誌、評論誌があまりにも少ないこと、未だに新劇と小劇場に隔たりがある中で、マスメディア、評論家が小劇場に片寄っている点などの意見が寄せられたことが切っ掛けである。相次ぐ劇場の閉鎖、鑑賞団体を含め、観客減員の危機感もあり、関西演劇界の活性化のために何を為すか、その1つが「劇評シリーズ」の取り組みとなった。

1回目は会員同志の内輪の討論会で、このシリーズの方向性を話し合った。関西では感想程度で劇評がない。まして時評や演劇評論は皆無に等しい。ベルリンなどはレパートリー制をとっているので、劇評を見て観客が選ぶことができる—日本では可能だろうか。書店から演劇コーナーが消えているのに。誰が劇評を読むのか。30年前、朝日新聞社の演劇担当記者、清水三郎氏は劇評は激励だと云った。貶すのは簡単、いい所を探すことに徹すること。良い意味での御用評論家が必要ではないか。扇田昭彦氏と状況劇場、長谷部浩氏と夢の遊眠社、清水三郎氏と人形劇団クラルテのように密着した関係。その意味ではマスコミの在り方が昔とは全然違って来た。劇評を書ける記者はいないのでは。テアトロの編集方針では新劇の劇評は載せないという。マスコミでも小劇場が主流で、新劇は芝居をしていないと思われたら困る—13年間続いてきた「劇場通い」の神沢和明氏は記録性を強調する。

2回目はAICT関西支部長の市川明氏の司会で、評論家としてAICT関西支部事務局長の瀬戸宏氏、評論家であり造り手でもあるのだが、粟田 右氏、菊川徳之助氏、今泉修氏、作・演出家の深津篤史氏、棚瀬美幸氏、土橋淳志氏の若手の造り手が加わり、各々の立場から発言してもらった。関西の演劇事情については、高齢化に伴う世代交代の混乱期。限られた客がその中で動いているだけで拡がりが求められている。関西の場合、古典芸能と繋がりの無い所で現代演劇が存在している。創造面での拡がりを考える必要がある。劇評の発表の場があまりにも少ない。大阪現代演劇祭が発行している「劇の宇宙」、「劇場通い」、AICT関西支部発行の「act」の3つしかない。最近新しい劇場が4つできた。精華小劇場、ウルトラ・マーケット、ジャングル・インディペンデント、2など。少し前の劇場閉鎖問題の時は先が読めたが、いざ出来てくると先が読めない。全体的には客が減っている中で、客の分散化、パイの取り合いが生じるかも知れない。その対策としてロングランや、マチネーの公演など、劇場の色を出していく必要がある。ここ1.2年は大変だと思う—劇場問題、世代交代、創造の限界、発信の場数、観客減の問題など、関西演劇界の抱える諸問題が列挙された。その中で、「劇評」の位置付けを巡って突っ込んだ意見が交された。討論会で気になるのは観客不在だということ、評論家のために造っているのではない。劇評家から刺激を受けることは少ない。劇評は文章力が要求される。今あるのは感想でしかない。劇評を必要だと思わない。必要とする劇評がないということだ—その他マスコミの問題、2ヶ月遅れで載る雑誌の問題、ヨーロッパとの違いなど忌憚ない意見交換ができた。

3回目の「メディアと劇評」は日本経済新聞社の林隆之氏、毎日新聞社の河出伸氏、朝日新聞社の桝井政則氏の若手記者3人に語ってもらった。昔と違ってマルチ化が要求される仕事の中で、演劇を必死に受け止めようとしているが限界があるのかも知れない。欧米のメディアと違って発行部数が圧倒的に多い日本の新聞社にとって演劇はマイノリティであり、東京の情報が溢れる中で関西発信を心懸けているという。
「劇評シリーズ」を終えた今、次のステップを考えている。通して云えることは関西発信の意味、劇評、時評、評論がその記録性も含め演劇史になるということである。同時に創造の底上げと観客の拡大に繋がる意味でも劇評の重要性を痛感する 。だとすれば劇評家の育成が急務だ。万歳一座の内藤裕敬氏が云うように、「演出家も劇評を書いたらいい。書かれた方は甘んじて受けるべきだ。」また菊川氏も云うように、「劇評家はもっと討論すべきということも必要だ。」シアター・アーツの誌上で石澤秀二氏が書いてる。「批評家同士の交流とは、個性のぶつかり合い、論争による他者の認識であり、自己発見である。」
新しいシリーズを始めよう。
(ほりえ・ひろゆき/日本演出者協会関西ブロック事務局長)

●演劇の教育と俳優の養成(5)
菊川 徳之助
ある時、竹内銃一郎氏(劇作家・演出家・大学教授)が、「毎日のように、学生を、1日4時間超、じっと見つめている。こんな授業をやっている先生がいるだろうか。大学において演劇専攻とは恵まれたところだ」といった意味のようなことを言った。これは、学生の稽古に立ち会っていて、演出者という立場であり、指導教員という立場であるのだが、1日4時間超、学生をじっと見つめている作業なのであり、教育をしている現場なのである。しかも、この時間は、正規の授業時間をはみ出た、多くは夜の時間帯(夕方6時〜夜10時)なのである。日中は授業があるから大学に居る滞空時間が実に長い。勿論、このようなところがないわけではない。実験系の学部にも学校に居る時間が長いものもある。ただ、実験系は自分自身が行なう時間が多いと思うが、演劇専攻は、演出の先生がずっと付いての稽古である。学生主体で学生が演出することもあるが、同じ年齢の者だけの作業はなかなかむつかしいところがあるので、教員が付くことになる。だが、夜働いても、残業手当は付かない。1週間の授業時間におけるカリキュラム範囲内で収めることが普通であるが、そのように行かないところに演劇というもののやっかいな要素が埋まっている。演劇には長い稽古時間が要る。即興劇でも、稽古を積んで即興劇を作るのである。演劇は、生きた人間の生身の身体で、手作りの原始的な創造法による芸術作業である。映画のようにカット割りで作って、複写したフイルムでの世界同時上映、というわけにはいかない。1つのキャスティングによるものは、1つの劇場で、その1日、1つの公演しかないのである。世界に1つ、コピーができないのである。

演劇は人間を描く芸術である。しかも、人間社会を再現ではあるが、直接描写的に表現する。人間のことを楽しく考察できる芸術であり、このことは教育には、最高に適する要素を持っている。だが一方、演劇は学校教育としては、全く適さないのではないかとも思われる。1週間1回の授業で成り立たせるには無理があるからである。授業時間を十分にとってカリキュラムを<専門科目>のみで組める「演劇大学」が必要なのである。文学部の中の演劇専攻では、施設においても、普通学部の中に演劇専攻があるわけだから、充分なものを造らなくてよい(法的規制外になるから経営者が造ってくれない)。例えば、演劇には劇をする場所、空間が必要である。一般的には劇場(ホール)と言われるものが要る。しかし、普通学部では普通の教室があればよいわけであるから、ということは、文科省の認可も、劇場がなくても通ることになる——同じことを繰り返すが——日本には<演劇大学>がなく、いや、演劇大学どころか、総合大学の中に<演劇学部>も設置されていないのである。条件のゆるやかなもの、言ってしまえば、現在の演劇専攻は曖昧な形で存在していることになる。そんなものは、ナンセンスではないかと、という言い方も出来るが、それでも、日本の芸術や文化環境の貧しい中にあって演劇教育を為す大学があることは貴重なことだと思われる。さらには、以前に触れたことではあるが、演劇の教員を養成する機関もないのである。現在、大学での演劇関係の教員の多くは、現場の演劇人(演出家、劇作家)である。僅かに、演劇学科を卒業した人たちが、幾人か演劇教員になってはいるが、教員養成大学からの教員は居ない。演劇教育をする教員養成コースがないから当然である。このように、実習(実技)を伴った演劇教育は、非常に困難な状況にあり、困難な条件がある。しかし、俳優養成に暗い影を漂わせている日本の現状においては、早急に環境(設備やカリキュラム)を整えた「演劇大学」の設立が望まれるところである。・・・あるが、そのようなものができる可能性は皆無に近い。現状では、いまある演劇コースを設置している大学が、困難な条件の中で、工夫を凝らして如何に素敵な教育をするかであろう。しかし、演劇教育と一口に言っても、その内容がどうあるべきか、これまた深く考えていかなければならない問題なのであるが・・・。課題を残したまま、可能性のパーセンテージが高いことで言えば、実習(実技)を伴わない演劇教育をしている大学における演劇研究のほうかもしれない。教員においても、演劇研究をしている学者が多数いるからである。施設も大きな空間や劇場があることが絶対条件ではなく、教室(それと、ビデオやDVDなどの機械装置)があれば、授業は可能であるし、カリキュラムも1週間1時間の授業で成立する。ただ、俳優養成という観点からは、どのように考えたらよいのか、研究(理論)からも俳優が生まれないとは言えないが、条件的には、勿論充分とは言えないだろう。

俳優養成を第一に考えなければ、全大学に演劇入門のような<演劇の知>を学生たちが知る「演劇」の授業が設置されることを実現させたい。教養としての演劇教育と言ったらよいのか。演劇というプレイゲームの中から人間の知が学べるのだ。
俳優になることは、今の日本社会では、金メダルを取るくらいに難しいことである。とすれば、大学における演劇教育は、俳優養成のみにとどまらず、演劇教育を受けたけた学生が演劇の知でもって、地域や社会に広く活躍する人材を輩出する演劇教育をも為すことが大切なのではないか。演劇教育はイコール人間教育である。大学の多くの学問は全て人間教育であるから、なんの特徴にもならないと言われそうであるが、演劇教育は人間や人間社会を、人間の営みを直接に扱う芸術であるところの演劇を学ぶものであるから、最適な教育と言えるのである。
ということは、俳優養成は今ある劇団の附属養成所に委ねればならないのか?
(きくかわ とくのすけ  近畿大学演劇専攻教授)

■海外演劇紹介
●夢の回廊-頼聲川演出、表演工作坊『如夢之夢』を見る
永田靖
このたび台北で8時間の芝居が上演される、ついては見に来てくれないか、と連絡を貰いました。時間を共有するという演劇固有の経験をするには長時間の芝居に如くはなく、梅雨入り近い台北に出かけてきました。劇団は表演工作坊、1985年に設立されたいわゆる小劇場ですが、いまや実力人気ともに兼ね備えた台湾第1の劇団と聞きます。その20年周年記念作で、劇団主宰者の頼聲川の作品。この劇団は、劇の大枠を頼聲川が作り、俳優たちとの共同制作という方法をとっています。今回もその成果が存分に発揮され、個々の場面はよくできていて、8時間は決して長いものには感じさせませんでした。

物語は、冒頭から4人の患者の死に立ち会う新人医師の物語かと思わせますが、そうではなく、一人の患者の昔話になっていきます。妻との出会いとその失踪、傷心のままのパリ旅行へと。パリで出会った画学生と愛し合い、同棲。画学生は1989年天安門事件の当事者でもあり、現代の中台関係の複雑さを想起させずにはおきません。ある日、彼は幻想で見た中国女性に興味を持ち、30年代上海の娼婦だったその彼女の素性を上海に赴いて確かめたくなります。上海で今は老いたその女性に出会うと、劇は今度はこの女性の昔話になっていきます。舞台は一気に30年代上海になり、娼館での生活や、フランス人実業家と結婚してパリに移住する場面が展開します。徐々に夫婦仲に溝ができ始めますが、時は第2次世界大戦、ナチスのパリ占領はすぐそこです。そんな時その夫は列車事故で行方不明になり、彼女は家政婦に身を落とします。二人の子供のあるアフリカ女性の幸福な家庭で働くことになりますが、その家の主人こそが、死んだと思っていたかつての夫でした。失意の彼女を救うのが、かつて上海で自分を愛した若者でした。話を聞き終えた彼が、パリに戻ってももう画学生の彼女は去っており、手紙だけが残されていました。

最初は新人女医の話と感じさせ、次には患者の妻とその失踪の真相を究明する話かと思わせ、さらには、天安門事件の当事者の画学生との物語かと思えば、上海の娼婦の話となっていく、物語は4つの大きな入れ子構造をしています。この「夢のような夢」というタイトル以上に、8時間という長い上演時間は、一人の人間の叙事的な一代記かという期待を抱かせます。一代記は長時間の芝居に親和性を持つ物語様式ですが、ここではこの入れ子の物語の構造が、観客のこの仄かな期待を裏切っていく、そんな面白さを感じさせます。
入れ子の構造は、舞台構造にもうまく反映しています。劇場は、国立中正文化中心という巨大な劇場ですが、舞台中央の奈落に客席を作る風変わりなものでした。客席の周りを舞台が回廊風に四方を取り囲んでいて、観客はまるで釣堀の中から廻りを見渡すように観劇します。俳優たちは、この四方の回廊舞台を繰り返し、廻りながら演じて、というよりは、物語とは無関係に、時には幻想の人物が、時には過去の人物が、また時には同時代の人物が廻り続けます。例えば、その娼婦と愛を営む若者の場面では、回廊を歩き続ける足の悪い老人がいるのですが、彼はその若者の老いた姿です。フランス人実業家について行く彼女との恋に破れ、飛び降り自殺を企てたのです。つまり、ここでは場面に対して回想のフラッシュ・バックではなく、未来を先取りするフラッシュ・フォワードの手法のように見えるのですが、そもそも劇全体は現代の患者の回想なので、過去に向かう時間と、現代に向かう時間が、同時に流れる幻想性を生み出しています。この双方向的な時間を幻想的に共存させているところに、この上演の最大の美質があると思われました。

舞台奥に向かって上手と下手には、やぐらが組まれ2階建ての舞台となっています。頻繁にあちこちに場面が移るので、後ろか前か、上か・・と、観客は今どこで劇が演じられているのか、探さなければなりません。それは観客がただ受身に劇を享受するのではなく、参与的に劇に関わる効果のある方法であると同時に、上演の幻想性を高めるのに役立っていました。そのため客席が回転椅子であったことは記しておくべきでしょう。
メロドラマに傾きすぎた傾向もあるが、喜劇的色調も織り交ぜられ、観客は大いに喜び、大いに涙していました。この劇団が20年続いてきた理由がよくわかりました。この演出家の力量には並々ならぬものがあり、時に息を呑むような美しさを醸し出していました。それは劇全体の、人生とは夢のまた夢、というちょうどスペイン黄金時代の劇を彷彿とさせる主題にふさわしいものでした。同時にその主題が現代の台北の、そして1930年代以後の、必ずしも幸福なことばかりではなかったこの国の歴史を背景に感じさせて、ナショナルな輝きを放つものへと見事に修正されていたと思われました。
(ながた・やすし/演劇学・大阪大学)

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●投稿規定
『あくと』三号より、下記の要領で一般読者からの投稿を募集しています。編集部で審査のうえ、優れたものを『あくと』に掲載します。
・投稿内容は劇評、時評・発言、海外演劇紹介、書評などジャンルを問いませんが、関西地区上演の舞台対象の劇評を歓迎します。
・枚数は5枚(2000字)が基準です。
・原稿料はお出しできません。
・投稿締切は以下の通りです。
『あくと』六号(05年8月初め発行)掲載・・05年6月20日締切
『あくと』七号(05年11月初め発行)掲載・・05年9月20日締切
・投稿は電子メールでのみ受け付けます。タイトルに【『あくと』投稿原稿】と明記してください。原稿には、氏名(筆名使用の場合は本名も)、連絡先、職業(所属先)を明記してください。
・投稿宛先 ir8h-st@asahi-net.or.jp 瀬戸宏

●編集後記
今号から『あくと』は二年目に入る。何度も書いていることだが、このような小雑誌でも続けるとなると相当な負担がかかる。今号は諸般の事情で発行が少し遅れてしまった。早々に原稿を寄せていただいた執筆者にはお詫びしたい。次号は定期の発行をめざす。
今号には、新人として正木喜勝氏の劇評を掲載することができた。大阪大学大学院博士課程在学中である。これからも若い世代の寄稿を求めていきたい。
最近、劇団青い森から「活動停止のご報告」が届いた。四月末日ですべての活動を停止したという。「近年は『集団』としての成長ができず、個々の力を存分に発揮できる場を作れなくなりました。『表現者』として個々に目指すものを今一度確認するためにも、劇団員合意の上で『劇団青い森』の幕を閉じることに致しました。」とある。1980年創立というから、ちょうど四半世紀の活動歴である。神戸市を拠点に「学校公演を主たる活動」とした地味な劇団だったが、阪神大震災で劇団事務所や劇団員が被災し関心を集めた。被災による危機は乗り切れたと思われたが、十年にして力が尽きたのか。各劇団員は今後も演劇を続けるとのことなので、これからの健闘を祈りたい。(瀬戸宏)