■巻頭言
統計に憂える
太田耕人
『演劇年鑑2005』に、地域別に2004年の上演回数が整理されている。際立つのは全国の上演回数30620のうち、東京が20,674(67.5%)を占めていることだ。
いや、東京の一人勝ちはつとに知られたことではある。ただしここ数年、東京への一極集中がさらに加速している。2002年の66.2%から1.3%伸び、実数では2000回近くも上演回数が増えた。東京から地方への巡演(歌舞伎・ミュージカル・商業演劇)も、1191(4.2%)→1709(5.6%)と増加している。
それに比して、大阪・京都は凋落し、2年前の上演回数を大きく割り込んだ。大阪が3,790(13.4%)→3,082(10.1%)、京都は716(2.5%)→566(1.8%)。かたや全国での総上演回数は、28262(02年)から30620(04年)へと伸びているのだ。
ちなみに分野別では、小劇場を中心とした現代演劇が、圧倒的に多い。2004年の上演回数は、現代演劇21,540(70.4%)、商業演劇3,914(12.8%)、ミュージカル3,000(9.8%)、歌舞伎1,758(5.7%)、文楽408(1.3%)。
ところが地域と分野を総合すると、喜んではいられない結果がでてくる。たしかに東京では、他のジャンル(歌舞伎・文楽・商業演劇)を合計した約4倍の上演回数を、現代演劇は誇っている。しかし大阪・京都では、現代演劇はその他のジャンルの総計とほぼ同数しか上演されていない。この数字をみるかぎり、関西は東京ほど現代演劇が盛んでないことになる。
関西の現代演劇の芸術的レベルが低くないことは誰の眼にもあきらかだろう。しかしメディアとの連携、ロングラン公演への取組みなど、観客のほうを向いた努力は大きく立ち後れている。人気タレントの客演があってもよいし、小劇場の劇作家や俳優をもっとTVや映画に積極的に売り込んでもよい。
タレントを客演させてまで観客動員はいりません、と頑なに考えるのは、あえて挑発的にいえば、クラブ活動の延長にすぎない。そう思う人がいるのは分る(じつはそうした人をわたしは愛する)が、劇団の主宰や制作はそれではいけないのではないか。芸術的成功も興行的成功も実現するのが、かれらの仕事のはずである。そういう人材が輩出しなければ、関西演劇の活性化はむずかしい。
OMSをはじめ数々の劇場の閉鎖は、私たちを打ちのめしそうになった。難解でも優れていれば、観客が集るというのは幻想だった。そして観客が来なければ、確実に演劇は衰退する。この現実を直視することが、いま必要ではないだろうか。
(おおた・こうじん/演劇批評家・京都教育大学教授)
■劇評
●迷子と唄-新国立劇場制作『その河をこえて、五月』
出口逸平
芝居のちょうど中程、在日韓国人の朴高男は「なんか変だな、今日は」と、恋人につぶやく。「みんな迷子になって、探しまわってるでしょ」。たしかに桜満開のこのソウル漢江沿いの公園には、迷子が数多く出没する。老母クッダンは次男夫婦にはぐれ、語学学校の仲間にいびられた林田は不意に姿を消し、新婚旅行中に奥さんに置いてけぼりを食った観光客桜井は助けを求めてあらわれ、果ては迷子探しのアナウンスが何度も流されるといった具合に。
さらにここでは迷子が、「自分がだれだか、わからなくなっちゃった」アイデンティティ-の動揺という比喩的な意味を帯びて描かれる。たとえば日本と韓国の狭間にいる在日韓国人、学校になじめず韓国にまで「逃避」してきた青年、韓国を捨てカナダに移住する次男夫婦、そしてそれを知ったクッダンの次のような嘆きが「迷子」の広がりを示している。
クッダン この嫁の赤ん坊が大きくなるころには、どこの国の人間かなんて、悩まな くなるの?
佐々木 さぁ、どうなんでしょう?
クッダン だって、そうしたら、うちの孫は、何人になるの?(略)私は、日本人だ って言われたよ、国民学校に入ったら、おまえは朝鮮人だけど、皇国臣民だから、 一生懸命勉強して、立派な日本人になれって言われたよ…。その言葉の意味がね、 よく判らなかった。だって、私は朝鮮人だもの。
これを日本批判の文脈だけで読むのは正しくないだろう。事情は異なれ、「迷子」の状況はいまや日韓共通の課題なのだから。
しかも迷子であることが、哀しくつらい体験だとは限らない。むしろはぐれることによって新たな出会いが生まれる。たとえばクッダンは韓国生まれの主婦佐々木を知り、「私と思い出が同じ」と「昔のお友達」のように語り合う。これは本作のもうひとつのテーマ、コミュニケーションの問題に通じている。もちろんそれも「異文化交流」などという題目通りには進まない。
林田 (韓)韓国語、好きです。面白いです。
クッダン (韓)面白い? (日)私は、日本語、面白くなかったよ。(略)
佐々木 面白い、好き。ごめんなさい。でも、面白い。
こうして語学学校の日本人たちと韓国人家族とは、日本語と韓国語の飛び交う中で行き違いやいさかいを繰り返しながら、互いの距離を少し縮める。そのコミュニケーションの手段は、必ずしも会話とは限らない。たとえばクッダンの唄う「浜辺の歌」。思えば『ソウル市民1919』(2000年)の「霧の滴」や「東京節」、『上野動物園再々々襲撃』(2001年)の「月の砂漠」のように、最近の平田オリザはじつに印象的に「唄」を用いている。ここでも「唄」は理解というより共感の想いで、佐々木たち、そして観客を包み込む。このような反発と理解・共感のプロセスをさりげなく、しかも周到に構成した台本のバランス感覚はやはり見事というほかはない。次男の嫁がクッダンに語る「木には根っ子があって、太い幹があって、枝が伸びれば空にも出会い、風にも出会う」の台詞は、まさにアイデンティティ(根・幹)とコミュニケーション(空・風)という2つのテーマの融合を物語る「名文句」だろう。
この「問題劇らしからぬ問題劇」の教科書的まっとうさに、物足りなさを感じない訳ではない。しかし本作は、作品のテーマがそのまま共同執筆、キャスト・スタッフでの共演、共同演出、日韓上演という形で実践されるという、稀有な演劇的事件であった。その意義と成果は十分に賞賛に値する。クッダン役の白星姫の凛としたたたずまいと、佐々木役の三田和代の受けの演技は対を成して、アンサンブルの核となっていた。照明(小笠原純)も風や雲のゆるやかな流れを感じさせた。 <戯曲の引用は「悲劇喜劇」2005年7月号による>
作=平田オリザ/金明和 演出=李炳2006-03-01 02:01:22″