シアター・カフェ 舞台を語る6「寺山修司を語る」開催

今年、生誕70年、23回忌を迎える寺山修司の存在は、今なお現代演劇にとって大きな問いである。実験演劇を志向し、「生涯、前衛でありたい」と切望した寺山の志は、どう引き継がれているのか。寺山亡き後の演劇界は「実験」も「前衛」も空洞化し、彼にとって代わる存在は今のところ登場していない。
現在の視点から60〜80年代に活動した寺山修司と「天井桟敷」の仕事を検証する。ゲストには長年寺山修司と共同作業を務めた九条今日子さんを迎え、いまだ語られていないエピソードを紹介する。

日時=7月28日(金)19:00〜 場所=江古田ストアハウス4F稽古場
料金=¥1.000 ゲスト=九条今日子 聞き手=西堂行人

【寺山修司】 1935年青森生まれ。早稲田大学入学後に上京。ネフローゼを患い、生死の淵をさまよう。高校時代に短歌で出発し、後にシナリオライター、エッセイスト、映画監督などを経て、1967年に演劇実験室・天井桟敷を結成。本格的な演劇活動を開始する。『疫病流行記』『奴婢訓』『レミング』など実験劇から市街劇、書簡演劇などありとあらゆるジャンルを横断した。海外公演も多く、日本の演劇人として世界でも多大な影響を与えた。1983年没。

【天井桟敷】1967年、寺山修司、九条映子(現・今日子)、横尾忠則、萩原朔美、東由多加らと結成。『青森県のせむし男』で旗揚げ。その後、『大山デブ子の犯罪』『毛皮のマリー』などで一躍スキャンダラスな存在としてアングラ演劇の一翼を担う。『書を捨てよ町へ出よう』ではドキュメント的な手法を用い、実験的な活動を繰り広げ、市街劇『ノック』は本当に警察沙汰になった。83年に寺山修司の死とともに解散。