act創刊号・後半

●時評・発言大阪の劇場都市化に向けて藤井康生
日本の多くの都市の流れに逆らうかのように、大阪には都市を代表する公共劇場がない。これは今に始まったことではなく、昔から大阪には公共劇場がなかった。中之島公会堂があるが、これは寄贈されたもので、大阪市が建設したものではない。大阪には民間の劇場がいくつもあって、あえて公共劇場を建設する必要がなかったのであろう。しかし、民間の劇場は経営が困難になれば閉鎖されるし、老朽化すれば再建の保証はない。いや、そんなことは問題ではない。そもそも公共劇場は地方自治体の文化政策の表れであって、民間の劇場とは性格が異なるのである。 数年前、道頓堀の中座が売りに出されたとき、大阪市が買い取って、道頓堀の五座の一角を守ると思っていた。しかし、大阪市は沈黙を守り、中座は解体作業中に全焼し、似ても似つかぬビルに変貌した。道頓堀は大阪の顔である。その道頓堀のシンボルである五座を次々と失い、かろうじて残された中座も見捨てた大阪市の責任は重い。道頓堀の芝居街の雰囲気を守ることは大阪市の義務である。
確かに劇場の安易な建築ラッシュには問題がある。娯楽が多様化し、テレビのチャンネルが増え、街が劇場になっているとき、新しい劇場の建設に大方の賛意を得るのは難しかろう。しかし、中座の場合は事情が違う。まだ十分に使用に耐える五座の一つが建っていたのである(建物の歴史的価値は低いが、芝居小屋の風格は十分にあった)。買い上げて改修し、伝統芸能を含む新しい舞台活動の場にすれば、目玉となる公共劇場を持たない大阪市の面目も保たれたはずである。 松竹の英断によって松竹座が改築され、道頓堀から歌舞伎が消えることはまぬかれたが、松竹座の外観は大正モダニズムの雰囲気を残し、伝統芸能に対応しない。溝口健二は昭和十四年に『残菊物語』を映画化したとき、ラストシーンに道頓堀の角座に出演する菊五郎一座の船乗り込みを描いた。船先に立って挨拶する菊之助、それを迎える大阪庶民の賑わい、ここに都市の原点がある。道頓堀の芝居街の雰囲気が映像に定着しているのに、それに対応する現実の街並みを失ったのは大阪市の怠慢であろう。
今年は中村勘九郎がニューヨークで平成中村座の公演を行い、十一代目市川海老蔵の襲名披露はパリ公演もある。もはや歌舞伎は日本だけのものではない。共通する演劇理念を持つオペラが国際的になったように、歌舞伎も国際的になりつつある。かつて歌舞伎のメッカであった大阪に伝統的様式をもつ歌舞伎劇場がないのは寂しすぎる。焼失したベニスのフェニーチェ座は復元され、ミラノのスカラ座も修復され、共に今年から活動を再開するが(再建中は仮設劇場で公演を続行して市民の要求に応えている)、再建劇場の伝統的な様式に変更はない。21世紀は文化の蓄積を競う文化競合の時代になるだろう。そのとき問題になるのは伝統的な文化や街並みである。 大阪では小劇場の建設運動が行われているが、小劇場は空教室でもテントでも街頭でも、どこでもできる。それはあくまでもアングラであって、都市に必須の構成要素ではない。いや、アングラにしても一方に伝統的なものがあってこそ生きるのである。歌舞伎はオペラと同様に400年の歴史をもつが、その歌舞伎の劇場の様式を残すこと、これが歌舞伎と深い関わりをもつ都市の文化政策の基本であり、それが都市の再生に繋がるのである。こんぴら歌舞伎の金丸座が復活したとき、この町は日本のバイロイトになるかもしれないと思ったが、現にそのようになりつつある。江戸時代に道頓堀の芝居小屋をモデルに建築された金丸座の再生は、歌舞伎人口を開拓し、町おこしにも貢献した。本家の中座の喪失は大阪市の失政と言ってもよい。
もちろん、公共劇場は伝統芸能だけでなく、現代劇にも目を向けるべきだ。しかし、日本の近代と併行してきた新劇が頓挫したように、日本は時代と切り結ぶ演劇文化の育成を怠ってきた。演劇を公教育から外してきた歴史を考えれば、近年の町おこしがらみの劇場建築ラッシュは滑稽である。従って、現代劇の公共劇場の建設に関しては、運営の理念の把握が難しいのだが(だからといって必要がないと言うのではなく、教育も含めて演劇文化の確立を図らなければ国際的な知の文化に遅れをとるだろう)、理念の明確な伝統芸能の対策まで怠ってきたのは問題であろう。さしあたり新歌舞伎座の再検討も含め、道頓堀周辺の劇場都市化こそ大阪再生の常道であるように思われる。(ふじい・やすなり、関西外国語大学教授)

「同時代」、何処へ行く?                                   森山 直人
新しい演劇雑誌の立ち上げと聞いて、「同時代演劇」というタイトルはどうか、というありえないアイディアが、不意に頭に浮かんできた。ありえない、というのは、もちろん同名の雑誌が、一九七○年代前半のアングラ全盛期を象徴する重要なメディアとしてすでに存在していたということもあるが、それ以上に、「同時代」という名称が、拡散的な日本の舞台芸術の現状に、うまくそぐわない言葉のように思えてきたからだ。 それでもなお、「同時代」という言葉が、いま無性に気になっている。言うまでもなく、「同時代」とはひとつの虚構である。この瞬間手元にあるこのコーヒーカップとあのティーカップの間には、「同時性」はあっても「同時代性」はない。「同時代」とは、バラバラに散らばる諸現象を、ある視点にもとづいて、戦略的に切り取るフレーミングの問題であって、実作者によって切り取られる場合もあれば、批評家が行う場合もある。また、往年の『同時代演劇』における「同時代」には、世代論的なニュアンスがある程度つきまとっているが、「同時代」は必ずしも「同世代」の同義語ではない。たとえば、宮沢章夫は連載中の長編評論のなかで、ちょうど百年前に書かれたチェーホフの『桜の園』を、「不動産の劇」という観点から、バブル以後の日本と日本の現代劇にとっての「同時代」の劇として読み解こうとしている(『ユリイカ』二○○三年九月号)。あるいはまた、一九六○年代の鈴木忠志は、鶴屋南北や泉鏡花の一見古めかしい言葉が、白石加代子という俳優の身体をとおして、不可解な「同時代性」をまざまざと生きているのを目撃してしまったことから、彼自身の演劇論を構想した。
ところで、日本の「近代文学」にとっての「文芸時評」とは、まぎれもなく、個々の文学作品が、その個体性をこえて属している「同時代」がどのようなものであるかを、ときにはアクロバティックに仮構してみせる、という制度的役割を担っていた。「演劇時評」や「ダンス時評」も基本的に一緒である。だが、メディア的な配置の変化によって相対的な地位の低下に見舞われた「時評」の役割は、いまではそれ以外の文化的装置が少しずつ分担する形で補っている。たとえば、私自身も今年から関わることになった京都芸術センター主催「演劇計画2004」には、三浦基と水沼健という二人の若手演出家の支援以外にコンクール部門を設けていて、「演出」というテーマで誰を候補としてそこにノミネートするか、といった作業自体に、すでに時評的な役割が包含されていることに気づかされた。「賞」ということでいえば、最近「芥川賞」は、明らかに「同時代」をアクロバティックに仮構するという時評的役割をすすんで引き受けたが、では「岸田賞」は同様の機能を果たしているだろうか? 『ワンマン・ショー』の倉持裕の受賞は、その筆力からいって当然だが、それ以前に、「芥川賞」と「岸田賞」の間に、ある種の同時代性を認めることも不可能ではないような気がする。村上龍は、金原ひとみの『蛇にピアス』を、「突出した細部よりも破綻のない全体」に特長があると評している。倉持裕の場合、「増築された部屋」や「拡大する池」といった妄想的な細部はたしかに登場するものの、そうした不気味なものの自己破壊的な性格は、全体とのバランスのなかで厳密にコントロールされている。綿矢、金原、倉持のどの作家にも、「破綻」に対するロマンティックな憧憬はもはや感じられないが(その点で、松尾スズキとは決定的に違う)、全体を構成する巧みさに関する限り、どうも個人的な力量の問題というだけではなく、何らかの歴史的裏付けの存在が予感されるのだ。これについては別途詳しく論じる必要があろうが、若い芸大生の作品に日常的に接していても、この種の能力の相対的な高さは際だってみえるからである。
『ワンマン・ショー』の「あとがき」で、倉持が、「箱から粘液があふれ出す冒頭は、ずっと前から書きたかった場面だった」と記しているのを興味深く読んだ。事実作品を読んでいると、彼がどんな作品を書きたいと思っていたのかが手に取るように伝わってくる。けれども、変な言い方だが、「どんな作品だけにはしたくなかったのか」、ということになると、それほど明確には伝わってこない。これに比べると、一九六○年代の演劇作家たちの作品には、「こういう作品だけにはしたくない」という主張が、何とあからさまにあふれかえっていることか! どちらが舞台芸術にとってよいことなのかは、にわかに断定することができないし、また、「好きな物」へのこだわりが、「嫌いな物」の無意識の排除にただちに直結するとも思えない。「僕は自分を筒だと思っている。育むべきは筒の中に密生する突起物だ。引っかかりのない滑らかな筒では、入れた物が入れたままの形で出口から出てきてしまう。突起物に自信が持てる間は、筒に好きな物を好きなだけ放り込んでいこうと思う」(「あとがき」、傍点筆者)という文章に、新しい世代の確かな可能性の予兆を感じつつ、倉持の「嫌いな物」が何であるかについても、いま少し時間をかけて考えてみたいと思う。(もりやま・なおと 演劇評論家・京都造形芸術大学)

演劇の教育と俳優の養成(一)菊川徳之助
川上音二郎や坪内逍遥が、<児童演劇>を明治・大正の時代に開拓している。がしかし、「演劇」が、学校教育に取り入れられるということはなかった。演劇が教科に入ることはなかったが、学芸会(学校劇)として生きていた。ところが、1924年、文部大臣岡田良平によってなされた学校劇についての訓示=「・・・・学校に於いて脂粉を施し仮装を為して劇的動作を演ぜしめ、公衆の観覧に供するが如きは、質実剛健の民衆を作興する途にあらざるは論を待たず。当局者の深く思いを致さんことを望む。・・・」と語られたものには、学校劇を禁止するという言葉は使用されてはいないが、充分な学校劇禁止令であったと思う。第二次世界大戦後、民主主義教育の世の中を迎えるが、驚くことに、平成の現在にも、例えば、高等学校の「芸術」の科目の中に、音楽や美術や書道があっても、「演劇」の科目名はないのである。やっと、1978年に当時の文部省の方針によって、高等学校指導要領に「演劇に関する学科」の設置が認められるという情況が現れた。しかし、この、いささか唐突にも思える上からの指令に、学校現場は直ぐに反応出来る環境を持ってはいなかった。それでも、演劇教育を大切だと考える人々の努力によって、20年前に高等学校に「演劇科」が設置されるという画期的なことが起こった。
1984年に私学の「関東女子学園高校」(現・「関東国際高等学校」)に、近畿圏では、公立高校としては初めての演劇科が1985年に兵庫県立「宝塚北高等学校」に設置され、その後、数校の設置があった。全国の高等学校設置の全体の数から言えば僅かではあるが、「芸術」の科目の中に、「演劇」の科目名がない状態が変わっていない状況から見れば、やはり、演劇科の設置は画期的な現象と言えるであろう。しかし、芸術科目あるいは一般科目に演劇が今なお入らないのは、演劇というものが人間教育に・芸術教育に、素敵な内容を持つものと考える人間からは、やはり異常な姿に見える。
そのような情況にあって、近年、注目したい事柄が二つあった。第一は、青森の県立八戸東高等学校が平成15年から「表現科」という名称の科目を設置したように、演劇教育を含めた身体教育を行なう学校が出現したことである。「表現科」という、演劇専門よりは広い範囲でイメージ出来るところに新しい可能性を持っているものである。第二は、「総合高等学校」という<単位制>の高等学校で、一般教科科目でない、学校が独自で設定出来る<学校設定科目>という多種多様な自由選択科目の中に、「舞台系科目」(または、芸術・表現系科目)として「戯曲研究」や「基礎演技」「舞台実習」「演劇概論」などが設けられるという現象が出て来たのである。神奈川県立総合高等学校(1995年から)などで<学校設定科目>として演劇関連科目が設置されている。さらには、単位制総合高等学校ではなく、<総合学科>という、国語や数学といった普通科目と情報、芸術、福祉、スポーツといった科目を複合設置して、多彩な選択制の科目配置で、個性的なカリキュラム編成がなされる<総合学科>という学校(例えば、兵庫県立伊丹北高等学校総合学科)も設置されて、そこには、「戯曲研究」や「劇表現」なる科目が設けられている。高等学校の「芸術」選択科目に入ることのなかった「演劇」科目が、<学校設定科目>ではあるが、教科の中に登場して来たことは、注目すべきことであり、このような、総合高等学校や総合学科が増えれば、演劇科目が増加し、演劇教育が実質的に学校教育に入ることになる。
だが、高等学校の演劇科(表現科)で学んだ生徒が、大学の演劇学科あるいは専門の養成機関などへ、専門演劇人への道を歩み出し、俳優として、またはスタッフとして活躍する優秀な人材を排出して行く状況が期待出来ることになる・・・・と想像する・したいところであるが、現在設けられた高等学校の演劇科は、将来演劇人として生きる人材を育成することを第一にはおいていない学校がほとんどなのである。否、むしろ、「演劇科とは言うものの、そこでは職業俳優の育成を中心にしない」、「演劇による教育は、自分を発見し、自分を積極的に表現して人間らしく生きる力を養う教育であり、他人を理解し、他人と創造的に交流して豊かな人間関係を形成する力を養う教育であるといえる」という演劇による<人間教育>を主体においたものである。勿論、演劇による<人間教育>は意味のあるものであり、重要な発想である。しかし、一方、演劇教育が専門演劇人養成に直結していないことも、明らかである。では、俳優養成はどこで行なわれるのであろうか。大学の演劇学科であろうか。現在、日本の大学の演劇学科は、どのような存在になっているのであろうか? (きくかわ・とくのすけ 近大演劇専攻教授・著書=実践的演劇の世界)

●海外演劇事情紹介ロシア演劇は我らの同時代人!?永田靖
ロシア演劇の現況を、今シーズンの新作を中心に点描したい。近年、ロシアの演劇は日本にかなりの数が客演するようになって、ロシア演劇との近さも一昔前の比ではない。5月にも多くのロシア劇団が静岡に来ているというし、マールイ劇場も秋に来ると言う。 マールイ劇場が秋に持ってくるのは、チェーホフ『三人姉妹』。昨年の12月に初日が出ている。マールイの名優ユーリー・ソローミンの演出になるもので、回り舞台をふんだんに使ったものだが、実際には従来のチェーホフ理解に準じており、演劇では保守的な力こそがその魅力なのだと言わんとしているように見えた。今年はチェーホフ没後100年で日本では記念の催しが多いと聞くが、新作で風変わりだったのは、「現代劇スクール」の1月の新作、オペレッタ版『かもめ』だろう。ここは、現代作家はもちろん、古典から現代の探偵小説まで幅広く上演しているが、オペレッタに挑戦するのは記憶にない。ヨシフ・ライヘリガウス演出でトレープレフとニーナがデュエットを歌い、ソーリンがカンカンを踊り、70年代風の音楽が随所に流れるこの『かもめ』は、少なくとも新鮮には思えた。昨シーズンの新作、売り出し中のウラジーミル・エピファンツェフ演出ワフタンゴフ劇場『かもめ』の滑稽な気取りよりは楽しめる。いかにそれがチェーホフから遠くても。
そのエピファンツェフ、今や現代モスクワの「怒れる子供たち」と異名をとり、話題になることが多い。1月の新作シェークスピア『夏の夜の夢』は、過激な現代化をして才気を感じさせる。この種のシェークスピアの現代化はロシアでも珍しくないが、残虐さと斬新さにおいて際立ってはいる。この点、今後評価の分かれるところだろう。シェークスピア作品も相変わらず数が多い。個人的に評価している演出家ウラジーミル・ミルゾーエフ、ワフタンゴフ劇場『リア』は秋の新作。カナダから帰国後、スタニスラフスキイ劇場で、ゴーゴリ『結婚』の女性役を2人ずつ配したフォルマリスティックな演出をしたり、『フレスタコーフ』では従来のフレスタコーフ像を破壊するグロテスクな像を演出したりして、この時期「メイエルホリド的」と言われた。その後『十二夜』『夏の夜の夢』を軽妙でファンタスティックな雰囲気の喜劇に演出して大衆受けのする方法に傾き、いささか姿を変えてしまったように見えた。しかし、今回の『リア』は、かつての大胆なミルゾーエフ流の形式の美学がいくらか蘇った。ただ、それは「王リア」ではなく「人間リア」の姿を照明しようとする上演全体の方向のためには最良の選択だったのかどうかは疑問がないわけではない。
全体的に見渡すと、ここ数年ロシア演劇の言及性の射程がどんどん狭くなっているように感じる。演出技術は向上し、娯楽性もふんだんにあって、作品の仕上がりなども申し分ないものが多いが、時代や世界の動きに深いところでつながっているという感覚は年々乏しくなっている。演出技術にできることと、劇作にできることは必ずしも一致しない。今こそ劇作家の革新的な冒険が待ち望まれているのかもしれない。ミルゾーエフもそのことの重要性は数年前に現代作家ミハイル・ウガーロフ原作『鳩』の演出で十分に示したはずだったのだが。 また外国の劇団の上演や、外国人演出家の演出数も増えた。ピーター・シュタインのロシア好きはつとに知られているが、今では鈴木忠志もモスクワ好きの一人に加えられているかもしれない。モスクワで『シラノ・ド・ベルジュラック』『リア王』公演などを相次いで成功させている。今年はまた、サブレメンニク劇場で、ポーランド人演出家アンジェイ・ワイダによるドストエフスキイ『悪霊』が既に始まっているが、これはまだ見ていない。
どうしても新しい動きばかりが目に付くが、本質的な変化は本来、古い世代に表れる。新しい世代は新機軸にこそ関心を持つので新しい観客がつくのが当然だが、古い世代が新しいことをすることは相当の努力と犠牲を伴う。モスクワ芸術座で 4月に始まったばかりのブルガーコフ『白衛軍』。これもひいきの演出家セルゲイ・ジェノバチの演出による。作品は、作家ブルガーコフが20年代にモスクワ芸術座のために書いたもので、革命前の時代へのオマージュを捧げるもの。ゴーリキー芸術座の方にはドローニナ演出でレパートリーにあるが、チェーホフ芸術座の方はなかった。芸術座でこそ上演されるにふさわしい作品だが、ゴーリキー芸術座での演出のような、少なくとも風俗的なメロドラマ劇ではないことを期待したい。
思えば、ペレストロイカが始まってもう20年になろうとしている。この間、あまりに多くのことがロシア演劇に起こった。独立系のプロデューサーや私設劇場が多く登場し、それぞれに興味深い仕事を見せた。いわゆるスタジオ劇団が百花繚乱の様相を呈し始めたのもこの頃だ。ソ連解体後に演劇大学での自分のクラスの生徒を集めて作ったフォメンコの「フォメンコ工房」は今もって着実に仕事を見せているし、5月に2度目の来日公演するアナトーリイ・ヴァシーリエフの新しい劇場は、以前の本拠地アルバーツカヤに程近いうらぶれたアパートの地下の1室とは比べるべくもない。アルツィバーシュフのポクロフカ劇場も新しい劇場に移ることができたし、そもそも芸術座が二つに分裂するなど誰が想像しただろうか。演劇大学GITISは、今は演劇アカデミーRATIと名前を変え、校舎も改装されて見違えるようだ。チェチェンテロで標的になったロシアン・ミュージカルも、本来音楽劇好きのロシア人の好みには合うはずで、成長しないはずはなかった。表面的には肯定的な変化が目立つわけだが、この20年で一体何が変わって何が変わらなかったのだろうか。その本質的な意味はまだ誰も語り始めていないのかもしれない。(ながた・やすし 演劇学・大阪大学)

●演劇書評書評・小島康男監修『ドイツの笑い・日本の笑い-東西の舞台を比較する-』古後奈緒子
人は社会に向かって笑う。このことを優れて意識させてくれる場所が劇場だ。例えば先日、気鋭のアクション芸術家の舞台を訪れた際、観客が少なからず席を立つ中、一人高らかに笑いつづける客がいた。このような場合、笑いは舞台に対してだけでなく、勝利と優越の表明となって他の観客にも向けられている。そして、舞台に向かう笑いは、そこで行われているアクションを媒介として現実世界へと突き抜けて行く。このように考えると、「笑い」という現象は、上演が受容において社会と結ぶ多層的な関係を、優れて映し出す鏡となるのではないだろうか。
このようなことを考えていた折りに、編集部からタイムリーな書評のお題をいただいた。日独の共同研究プロジェクトから生まれた『ドイツの笑い・日本の笑い-東西の舞台を比較する-』である。「笑い」という現象については、これまでに様々な言説圏で理論化がなされているが、演劇学研究においては伝統的な主題であったわけではない。本書においてそれが取り上げられるのは、「喜劇」論が対象とする範囲を超えて、より広い上演芸術の領域を扱おうという論者たちの意気込みによるものである。実際、収められた論考には、テクストが残されにくいキャバレーなどのジャンルや、戯曲の外部に射程をのばした上演分析への積極的な取り組みが認められる。それは、戯曲とその作者の間を行き来する伝統的な演劇学研究に対し、上演と観客の間のコミュニケーションに豊かな意味をくみ出そうとする近年の演劇学の動向とも無関係ではあるまい。 では、日独両文化圏の上演芸術を「笑い」という試金石にかけてみた場合、何が見えてくるのか。それぞれに個性的なアプローチを行う五つの論考を、あえて三つの問題関心にまとめてみる。
まず、テクストに内在化された「笑い」のしかけを分類し、整理するもの。つまり、どのような要因が対象と受け手、あるいはそれらを取り巻く環境の中にそろったとき、笑いに結びつくのかを明らかにするものである。これについては、「笑いのパレット–機知・風刺・滑稽」論が、様々なテクストにおける笑いの要因を分類し枚挙することで、組み合わせによって独自な笑いを形成する絵の具を取りそろえた豊かな「笑いのパレット」を提出した。 この関心と表裏一体をなすのが、道化や「オチ」といった任意の「笑い」の要因を手がかりに、二つの文化圏におけるその表れ方を比較し、異同を見極めようとする試みである。論者たちは「異」と「同」の間で軽やかに思考を切り替えつつ、およそ中世から現代までの膨大な上演芸術作品と理論を渉猟する。その結果、いずれもが次のような見解を示すに至る。日本とドイツの上演芸術はともに、「笑い」を豊かに内包している。しかし、ドイツの「笑い」が知に訴え、風刺を含み、政治的な内容を持つのに比して、日本のそれは情に訴え、宥和の契機となり、政治を直接目標としない傾向を持つ、と。
ここでわざわざ強調しなければならなかったように、日独の上演芸術における「笑い」の豊かさは、実は本書の大前提であったわけではない。著者たちが折に触れ認めるように、ドイツ人と日本人には「笑いから縁遠い」という対外的なレッテルが貼られており、演劇においても同様である。この喜ばしくない文化イメージに一矢報いるために、歴史的な視点を導入したのが「日独の舞台に笑いはあるか?-二つの「遅れてきた国」を比較する-」である。この論は、ドイツの演劇が喜劇的要素に乏しい理由を、他のヨーロッパ諸国に対するドイツ演劇の近代化の遅れの中に求める。他国に遅れた近代化の過程で、シリアスな演劇(E演劇)は笑いを追放し、エンターテイメント(U演劇)と棲み分けなければならなかった。そしてもちろん、従来の演劇研究はE演劇を主な対象とし、U演劇における豊かな笑いの伝統には目を向けてこなかった。ここから、西洋に対して遅れを取り戻そうとする日本演劇の近代化に、同様の構造を見いだすのは難しいことではない。
以上のように、本書は、「笑い」の要因、日独演劇文化の異同、その歴史的背景における共通点を明らかにしてきた。しかし、「笑い」という主題は、新たな研究領域を拓いたばかりである。フォルカー・クロッツの提唱した「笑い演劇」という概念の検討も含めて喜劇の概念規定を見直し、研究範囲を拡大してゆくという課題が確認されている。これと並行して、テクストが書物の形で残されないもの、特に身振り言語や、役者と観客の間にひらかれるコミュニケーションの分析手段を鍛えることも必要になってくるだろう。そこには、文学的な受容構造を背景に読まれるテクスト研究や、ハイカルチャーを対象とした上演芸術研究からは聞こえてこない「笑い」がこだますることだろう。 こういった真面目な試みの延長線上に、願わくば、「笑わない」ドイツ人、日本人といったイメージも覆されたり、、、はしないかもしれない。                                          (こご・なおこ/非常勤講師)

●編集後記●関西で演劇批評誌を発行しようという構想はかなり以前からあったが、今回ようやく実現することになり、『act』(あくと)創刊号が発行された。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター関西支部の編集発行である。●AICT関西支部の性格から、雑誌としては特定の芸術主張はとれない。あえて言えば、「現場」に強い関心を持ちつつそれから独立した「自立した演劇批評の追求」であろう。その対象は、舞台芸術であればジャンルは問わない。東京などの劇団の関西公演も取り上げる。さらに、関西在住の批評家の東京演劇評、海外演劇事情紹介も掲載する。『act』が関西演劇界活性化の一つの刺激剤となることを願っている。●創刊号は、ご覧のとおり木の葉のように薄い雑誌となった。雑誌流通機構に出すこともできない。しかし、『act』は一つの仕掛けをした。文字部分の全文をAICT日本センター公式サイトに転載するのである。こうしておけば、全国の関心ある幅広い人に読んでもらえる可能性を提供できるだろう。横組みにしたのも、ネット転載を意識してのことである。●誤解しないでいただきたいのは、『act』は印刷された刊行物が本体であり、サイト上のものはあくまでも転載だということである。インターネットの特徴は、制約がないということである。それは長所であるが、短所にもなる。制約がないだけに、安易に流れる傾向もある。『act』は締切も枚数も制限のある雑誌として企画し、しっかりした批評文章を創出して掲載し、それをネットに転載する。●印刷物が本体であるから、『act』は定期購読者獲得も追求する。創刊号は宣伝のため、発行とほぼ同時にサイト転載するが、二号以降は発行と転載時期が少しずれる。●『act』は当面は季刊である。二号は八月初中旬発行を予定している。雑誌の基礎が固まれば、投稿も積極的に掲載していく。読者のみなさんの忌憚のないご批判をお願いしたい。(瀬戸宏)