act2号(2004.8.9)

●巻頭言 市川明
●劇評
太田耕人 すぐれた演出が欠いた求心力-RSC『オセロ』
宮辻政夫 関西の劇団の祝祭劇「日本三文オペラ-疾風馬鹿力篇」
瀬戸宏 反戦の意志と複雑な日本への感情-トリプルエム『霊戯』
市川明 さまざまな“しんじょう”-南船北馬一団『しんじょう』
上念省三 人を「そんな気分」にさせるために-呆然リセット
●時評・発言
星野明彦 諫早発大阪行(博多乗換)
粟田イ尚右 大阪の劇の営みの中での・・ある『演劇祭』のこと
菊川徳之助 演劇の教育と俳優の養成(2)
●書評
藤野真子 杉山太郎著『中国の芝居の見方』に寄せて
会員名簿・購読規定・投稿規定・編集後記


act2号・前半

●第9回AICT演劇評論賞決定のお知らせ ◎ 受賞者:斎藤偕子氏 受賞作:『黎明期の脱主流演劇サイト』(鼎書房) ◎ 受賞者:佐伯隆幸氏 受賞作:『記憶の劇場 劇場の記憶』(れんが書房新社)  (順不同)
国際演劇評論家協会(AICT)日本センターでは、演劇・ダンスの優れた批評を顕揚し、その発展を図るために、1995年より毎年、1月から12月までに刊行された単行本、活字になった演劇評論を対象にしたAICT演劇評論賞を設けております。AICT会員全員へのアンケートを実施し、推薦された作品の中から得票数の多い作品を選び、選考委員会において受賞作を決定しています。第9回の今年は上記二作が受賞作に決定いたしました。今回の選考委員は、石井達朗、今村忠純、高橋豊、松岡和子(五〇音順)の4名のAICT会員です。 受賞者プロフィール 斎藤偕子 ニューヨーク大学大学院修士課程卒業。現在、日本橋学館大学教授。専門はアメリカ演劇、現代演劇理論・批評。著書に『境界を越えるアメリカ演劇』(共著、ミネルヴァ書房)ほか。 佐伯隆幸 現・(黒テント)創立の一員としてアングラ期の「演劇の運動」に携わった。現在は演劇評論家、学習院大学教授。著書に『「20世紀演劇」の精神史』(晶文社)ほか。 以上、どうか、日本の演劇・ダンス批評の発展のため、おとり上げいただければ幸いです。 ●第8回シアターアーツ賞選考結果のお知らせ
受賞作:なし
佳作受賞者:丸田真悟氏 佳作受賞作:「平田オリザの、あるいは平田オリザと、観客——『参加する演劇』をめぐって」  国際演劇評論家協会(AICT)日本センターでは、演劇批評に新たな地平を拓く気鋭のために、「シアターアーツ賞」を設け、新進による演劇・ダンス評論応募 作から特に優秀と認められた作品を顕彰しています。第8回シアターアーツ賞受賞作は残念ながらありませんでしたが、佳作として、丸田真悟氏の「平田オリザの、あるいは平田オリザと、観客——『参加する演劇』をめぐって」が選ばれました。 今回の選考委員は、内田洋一、太田耕人、七字英輔、立木2004-08-09 03:15:06″

act創刊号・後半

●時評・発言大阪の劇場都市化に向けて藤井康生
日本の多くの都市の流れに逆らうかのように、大阪には都市を代表する公共劇場がない。これは今に始まったことではなく、昔から大阪には公共劇場がなかった。中之島公会堂があるが、これは寄贈されたもので、大阪市が建設したものではない。大阪には民間の劇場がいくつもあって、あえて公共劇場を建設する必要がなかったのであろう。しかし、民間の劇場は経営が困難になれば閉鎖されるし、老朽化すれば再建の保証はない。いや、そんなことは問題ではない。そもそも公共劇場は地方自治体の文化政策の表れであって、民間の劇場とは性格が異なるのである。 数年前、道頓堀の中座が売りに出されたとき、大阪市が買い取って、道頓堀の五座の一角を守ると思っていた。しかし、大阪市は沈黙を守り、中座は解体作業中に全焼し、似ても似つかぬビルに変貌した。道頓堀は大阪の顔である。その道頓堀のシンボルである五座を次々と失い、かろうじて残された中座も見捨てた大阪市の責任は重い。道頓堀の芝居街の雰囲気を守ることは大阪市の義務である。
確かに劇場の安易な建築ラッシュには問題がある。娯楽が多様化し、テレビのチャンネルが増え、街が劇場になっているとき、新しい劇場の建設に大方の賛意を得るのは難しかろう。しかし、中座の場合は事情が違う。まだ十分に使用に耐える五座の一つが建っていたのである(建物の歴史的価値は低いが、芝居小屋の風格は十分にあった)。買い上げて改修し、伝統芸能を含む新しい舞台活動の場にすれば、目玉となる公共劇場を持たない大阪市の面目も保たれたはずである。 松竹の英断によって松竹座が改築され、道頓堀から歌舞伎が消えることはまぬかれたが、松竹座の外観は大正モダニズムの雰囲気を残し、伝統芸能に対応しない。溝口健二は昭和十四年に『残菊物語』を映画化したとき、ラストシーンに道頓堀の角座に出演する菊五郎一座の船乗り込みを描いた。船先に立って挨拶する菊之助、それを迎える大阪庶民の賑わい、ここに都市の原点がある。道頓堀の芝居街の雰囲気が映像に定着しているのに、それに対応する現実の街並みを失ったのは大阪市の怠慢であろう。
今年は中村勘九郎がニューヨークで平成中村座の公演を行い、十一代目市川海老蔵の襲名披露はパリ公演もある。もはや歌舞伎は日本だけのものではない。共通する演劇理念を持つオペラが国際的になったように、歌舞伎も国際的になりつつある。かつて歌舞伎のメッカであった大阪に伝統的様式をもつ歌舞伎劇場がないのは寂しすぎる。焼失したベニスのフェニーチェ座は復元され、ミラノのスカラ座も修復され、共に今年から活動を再開するが(再建中は仮設劇場で公演を続行して市民の要求に応えている)、再建劇場の伝統的な様式に変更はない。21世紀は文化の蓄積を競う文化競合の時代になるだろう。そのとき問題になるのは伝統的な文化や街並みである。 大阪では小劇場の建設運動が行われているが、小劇場は空教室でもテントでも街頭でも、どこでもできる。それはあくまでもアングラであって、都市に必須の構成要素ではない。いや、アングラにしても一方に伝統的なものがあってこそ生きるのである。歌舞伎はオペラと同様に400年の歴史をもつが、その歌舞伎の劇場の様式を残すこと、これが歌舞伎と深い関わりをもつ都市の文化政策の基本であり、それが都市の再生に繋がるのである。こんぴら歌舞伎の金丸座が復活したとき、この町は日本のバイロイトになるかもしれないと思ったが、現にそのようになりつつある。江戸時代に道頓堀の芝居小屋をモデルに建築された金丸座の再生は、歌舞伎人口を開拓し、町おこしにも貢献した。本家の中座の喪失は大阪市の失政と言ってもよい。
もちろん、公共劇場は伝統芸能だけでなく、現代劇にも目を向けるべきだ。しかし、日本の近代と併行してきた新劇が頓挫したように、日本は時代と切り結ぶ演劇文化の育成を怠ってきた。演劇を公教育から外してきた歴史を考えれば、近年の町おこしがらみの劇場建築ラッシュは滑稽である。従って、現代劇の公共劇場の建設に関しては、運営の理念の把握が難しいのだが(だからといって必要がないと言うのではなく、教育も含めて演劇文化の確立を図らなければ国際的な知の文化に遅れをとるだろう)、理念の明確な伝統芸能の対策まで怠ってきたのは問題であろう。さしあたり新歌舞伎座の再検討も含め、道頓堀周辺の劇場都市化こそ大阪再生の常道であるように思われる。(ふじい・やすなり、関西外国語大学教授)

「同時代」、何処へ行く?                                   森山 直人
新しい演劇雑誌の立ち上げと聞いて、「同時代演劇」というタイトルはどうか、というありえないアイディアが、不意に頭に浮かんできた。ありえない、というのは、もちろん同名の雑誌が、一九七○年代前半のアングラ全盛期を象徴する重要なメディアとしてすでに存在していたということもあるが、それ以上に、「同時代」という名称が、拡散的な日本の舞台芸術の現状に、うまくそぐわない言葉のように思えてきたからだ。 それでもなお、「同時代」という言葉が、いま無性に気になっている。言うまでもなく、「同時代」とはひとつの虚構である。この瞬間手元にあるこのコーヒーカップとあのティーカップの間には、「同時性」はあっても「同時代性」はない。「同時代」とは、バラバラに散らばる諸現象を、ある視点にもとづいて、戦略的に切り取るフレーミングの問題であって、実作者によって切り取られる場合もあれば、批評家が行う場合もある。また、往年の『同時代演劇』における「同時代」には、世代論的なニュアンスがある程度つきまとっているが、「同時代」は必ずしも「同世代」の同義語ではない。たとえば、宮沢章夫は連載中の長編評論のなかで、ちょうど百年前に書かれたチェーホフの『桜の園』を、「不動産の劇」という観点から、バブル以後の日本と日本の現代劇にとっての「同時代」の劇として読み解こうとしている(『ユリイカ』二○○三年九月号)。あるいはまた、一九六○年代の鈴木忠志は、鶴屋南北や泉鏡花の一見古めかしい言葉が、白石加代子という俳優の身体をとおして、不可解な「同時代性」をまざまざと生きているのを目撃してしまったことから、彼自身の演劇論を構想した。
ところで、日本の「近代文学」にとっての「文芸時評」とは、まぎれもなく、個々の文学作品が、その個体性をこえて属している「同時代」がどのようなものであるかを、ときにはアクロバティックに仮構してみせる、という制度的役割を担っていた。「演劇時評」や「ダンス時評」も基本的に一緒である。だが、メディア的な配置の変化によって相対的な地位の低下に見舞われた「時評」の役割は、いまではそれ以外の文化的装置が少しずつ分担する形で補っている。たとえば、私自身も今年から関わることになった京都芸術センター主催「演劇計画2004」には、三浦基と水沼健という二人の若手演出家の支援以外にコンクール部門を設けていて、「演出」というテーマで誰を候補としてそこにノミネートするか、といった作業自体に、すでに時評的な役割が包含されていることに気づかされた。「賞」ということでいえば、最近「芥川賞」は、明らかに「同時代」をアクロバティックに仮構するという時評的役割をすすんで引き受けたが、では「岸田賞」は同様の機能を果たしているだろうか? 『ワンマン・ショー』の倉持裕の受賞は、その筆力からいって当然だが、それ以前に、「芥川賞」と「岸田賞」の間に、ある種の同時代性を認めることも不可能ではないような気がする。村上龍は、金原ひとみの『蛇にピアス』を、「突出した細部よりも破綻のない全体」に特長があると評している。倉持裕の場合、「増築された部屋」や「拡大する池」といった妄想的な細部はたしかに登場するものの、そうした不気味なものの自己破壊的な性格は、全体とのバランスのなかで厳密にコントロールされている。綿矢、金原、倉持のどの作家にも、「破綻」に対するロマンティックな憧憬はもはや感じられないが(その点で、松尾スズキとは決定的に違う)、全体を構成する巧みさに関する限り、どうも個人的な力量の問題というだけではなく、何らかの歴史的裏付けの存在が予感されるのだ。これについては別途詳しく論じる必要があろうが、若い芸大生の作品に日常的に接していても、この種の能力の相対的な高さは際だってみえるからである。
『ワンマン・ショー』の「あとがき」で、倉持が、「箱から粘液があふれ出す冒頭は、ずっと前から書きたかった場面だった」と記しているのを興味深く読んだ。事実作品を読んでいると、彼がどんな作品を書きたいと思っていたのかが手に取るように伝わってくる。けれども、変な言い方だが、「どんな作品だけにはしたくなかったのか」、ということになると、それほど明確には伝わってこない。これに比べると、一九六○年代の演劇作家たちの作品には、「こういう作品だけにはしたくない」という主張が、何とあからさまにあふれかえっていることか! どちらが舞台芸術にとってよいことなのかは、にわかに断定することができないし、また、「好きな物」へのこだわりが、「嫌いな物」の無意識の排除にただちに直結するとも思えない。「僕は自分を筒だと思っている。育むべきは筒の中に密生する突起物だ。引っかかりのない滑らかな筒では、入れた物が入れたままの形で出口から出てきてしまう。突起物に自信が持てる間は、筒に好きな物を好きなだけ放り込んでいこうと思う」(「あとがき」、傍点筆者)という文章に、新しい世代の確かな可能性の予兆を感じつつ、倉持の「嫌いな物」が何であるかについても、いま少し時間をかけて考えてみたいと思う。(もりやま・なおと 演劇評論家・京都造形芸術大学)

演劇の教育と俳優の養成(一)菊川徳之助
川上音二郎や坪内逍遥が、<児童演劇>を明治・大正の時代に開拓している。がしかし、「演劇」が、学校教育に取り入れられるということはなかった。演劇が教科に入ることはなかったが、学芸会(学校劇)として生きていた。ところが、1924年、文部大臣岡田良平によってなされた学校劇についての訓示=「・・・・学校に於いて脂粉を施し仮装を為して劇的動作を演ぜしめ、公衆の観覧に供するが如きは、質実剛健の民衆を作興する途にあらざるは論を待たず。当局者の深く思いを致さんことを望む。・・・」と語られたものには、学校劇を禁止するという言葉は使用されてはいないが、充分な学校劇禁止令であったと思う。第二次世界大戦後、民主主義教育の世の中を迎えるが、驚くことに、平成の現在にも、例えば、高等学校の「芸術」の科目の中に、音楽や美術や書道があっても、「演劇」の科目名はないのである。やっと、1978年に当時の文部省の方針によって、高等学校指導要領に「演劇に関する学科」の設置が認められるという情況が現れた。しかし、この、いささか唐突にも思える上からの指令に、学校現場は直ぐに反応出来る環境を持ってはいなかった。それでも、演劇教育を大切だと考える人々の努力によって、20年前に高等学校に「演劇科」が設置されるという画期的なことが起こった。
1984年に私学の「関東女子学園高校」(現・「関東国際高等学校」)に、近畿圏では、公立高校としては初めての演劇科が1985年に兵庫県立「宝塚北高等学校」に設置され、その後、数校の設置があった。全国の高等学校設置の全体の数から言えば僅かではあるが、「芸術」の科目の中に、「演劇」の科目名がない状態が変わっていない状況から見れば、やはり、演劇科の設置は画期的な現象と言えるであろう。しかし、芸術科目あるいは一般科目に演劇が今なお入らないのは、演劇というものが人間教育に・芸術教育に、素敵な内容を持つものと考える人間からは、やはり異常な姿に見える。
そのような情況にあって、近年、注目したい事柄が二つあった。第一は、青森の県立八戸東高等学校が平成15年から「表現科」という名称の科目を設置したように、演劇教育を含めた身体教育を行なう学校が出現したことである。「表現科」という、演劇専門よりは広い範囲でイメージ出来るところに新しい可能性を持っているものである。第二は、「総合高等学校」という<単位制>の高等学校で、一般教科科目でない、学校が独自で設定出来る<学校設定科目>という多種多様な自由選択科目の中に、「舞台系科目」(または、芸術・表現系科目)として「戯曲研究」や「基礎演技」「舞台実習」「演劇概論」などが設けられるという現象が出て来たのである。神奈川県立総合高等学校(1995年から)などで<学校設定科目>として演劇関連科目が設置されている。さらには、単位制総合高等学校ではなく、<総合学科>という、国語や数学といった普通科目と情報、芸術、福祉、スポーツといった科目を複合設置して、多彩な選択制の科目配置で、個性的なカリキュラム編成がなされる<総合学科>という学校(例えば、兵庫県立伊丹北高等学校総合学科)も設置されて、そこには、「戯曲研究」や「劇表現」なる科目が設けられている。高等学校の「芸術」選択科目に入ることのなかった「演劇」科目が、<学校設定科目>ではあるが、教科の中に登場して来たことは、注目すべきことであり、このような、総合高等学校や総合学科が増えれば、演劇科目が増加し、演劇教育が実質的に学校教育に入ることになる。
だが、高等学校の演劇科(表現科)で学んだ生徒が、大学の演劇学科あるいは専門の養成機関などへ、専門演劇人への道を歩み出し、俳優として、またはスタッフとして活躍する優秀な人材を排出して行く状況が期待出来ることになる・・・・と想像する・したいところであるが、現在設けられた高等学校の演劇科は、将来演劇人として生きる人材を育成することを第一にはおいていない学校がほとんどなのである。否、むしろ、「演劇科とは言うものの、そこでは職業俳優の育成を中心にしない」、「演劇による教育は、自分を発見し、自分を積極的に表現して人間らしく生きる力を養う教育であり、他人を理解し、他人と創造的に交流して豊かな人間関係を形成する力を養う教育であるといえる」という演劇による<人間教育>を主体においたものである。勿論、演劇による<人間教育>は意味のあるものであり、重要な発想である。しかし、一方、演劇教育が専門演劇人養成に直結していないことも、明らかである。では、俳優養成はどこで行なわれるのであろうか。大学の演劇学科であろうか。現在、日本の大学の演劇学科は、どのような存在になっているのであろうか? (きくかわ・とくのすけ 近大演劇専攻教授・著書=実践的演劇の世界)

●海外演劇事情紹介ロシア演劇は我らの同時代人!?永田靖
ロシア演劇の現況を、今シーズンの新作を中心に点描したい。近年、ロシアの演劇は日本にかなりの数が客演するようになって、ロシア演劇との近さも一昔前の比ではない。5月にも多くのロシア劇団が静岡に来ているというし、マールイ劇場も秋に来ると言う。 マールイ劇場が秋に持ってくるのは、チェーホフ『三人姉妹』。昨年の12月に初日が出ている。マールイの名優ユーリー・ソローミンの演出になるもので、回り舞台をふんだんに使ったものだが、実際には従来のチェーホフ理解に準じており、演劇では保守的な力こそがその魅力なのだと言わんとしているように見えた。今年はチェーホフ没後100年で日本では記念の催しが多いと聞くが、新作で風変わりだったのは、「現代劇スクール」の1月の新作、オペレッタ版『かもめ』だろう。ここは、現代作家はもちろん、古典から現代の探偵小説まで幅広く上演しているが、オペレッタに挑戦するのは記憶にない。ヨシフ・ライヘリガウス演出でトレープレフとニーナがデュエットを歌い、ソーリンがカンカンを踊り、70年代風の音楽が随所に流れるこの『かもめ』は、少なくとも新鮮には思えた。昨シーズンの新作、売り出し中のウラジーミル・エピファンツェフ演出ワフタンゴフ劇場『かもめ』の滑稽な気取りよりは楽しめる。いかにそれがチェーホフから遠くても。
そのエピファンツェフ、今や現代モスクワの「怒れる子供たち」と異名をとり、話題になることが多い。1月の新作シェークスピア『夏の夜の夢』は、過激な現代化をして才気を感じさせる。この種のシェークスピアの現代化はロシアでも珍しくないが、残虐さと斬新さにおいて際立ってはいる。この点、今後評価の分かれるところだろう。シェークスピア作品も相変わらず数が多い。個人的に評価している演出家ウラジーミル・ミルゾーエフ、ワフタンゴフ劇場『リア』は秋の新作。カナダから帰国後、スタニスラフスキイ劇場で、ゴーゴリ『結婚』の女性役を2人ずつ配したフォルマリスティックな演出をしたり、『フレスタコーフ』では従来のフレスタコーフ像を破壊するグロテスクな像を演出したりして、この時期「メイエルホリド的」と言われた。その後『十二夜』『夏の夜の夢』を軽妙でファンタスティックな雰囲気の喜劇に演出して大衆受けのする方法に傾き、いささか姿を変えてしまったように見えた。しかし、今回の『リア』は、かつての大胆なミルゾーエフ流の形式の美学がいくらか蘇った。ただ、それは「王リア」ではなく「人間リア」の姿を照明しようとする上演全体の方向のためには最良の選択だったのかどうかは疑問がないわけではない。
全体的に見渡すと、ここ数年ロシア演劇の言及性の射程がどんどん狭くなっているように感じる。演出技術は向上し、娯楽性もふんだんにあって、作品の仕上がりなども申し分ないものが多いが、時代や世界の動きに深いところでつながっているという感覚は年々乏しくなっている。演出技術にできることと、劇作にできることは必ずしも一致しない。今こそ劇作家の革新的な冒険が待ち望まれているのかもしれない。ミルゾーエフもそのことの重要性は数年前に現代作家ミハイル・ウガーロフ原作『鳩』の演出で十分に示したはずだったのだが。 また外国の劇団の上演や、外国人演出家の演出数も増えた。ピーター・シュタインのロシア好きはつとに知られているが、今では鈴木忠志もモスクワ好きの一人に加えられているかもしれない。モスクワで『シラノ・ド・ベルジュラック』『リア王』公演などを相次いで成功させている。今年はまた、サブレメンニク劇場で、ポーランド人演出家アンジェイ・ワイダによるドストエフスキイ『悪霊』が既に始まっているが、これはまだ見ていない。
どうしても新しい動きばかりが目に付くが、本質的な変化は本来、古い世代に表れる。新しい世代は新機軸にこそ関心を持つので新しい観客がつくのが当然だが、古い世代が新しいことをすることは相当の努力と犠牲を伴う。モスクワ芸術座で 4月に始まったばかりのブルガーコフ『白衛軍』。これもひいきの演出家セルゲイ・ジェノバチの演出による。作品は、作家ブルガーコフが20年代にモスクワ芸術座のために書いたもので、革命前の時代へのオマージュを捧げるもの。ゴーリキー芸術座の方にはドローニナ演出でレパートリーにあるが、チェーホフ芸術座の方はなかった。芸術座でこそ上演されるにふさわしい作品だが、ゴーリキー芸術座での演出のような、少なくとも風俗的なメロドラマ劇ではないことを期待したい。
思えば、ペレストロイカが始まってもう20年になろうとしている。この間、あまりに多くのことがロシア演劇に起こった。独立系のプロデューサーや私設劇場が多く登場し、それぞれに興味深い仕事を見せた。いわゆるスタジオ劇団が百花繚乱の様相を呈し始めたのもこの頃だ。ソ連解体後に演劇大学での自分のクラスの生徒を集めて作ったフォメンコの「フォメンコ工房」は今もって着実に仕事を見せているし、5月に2度目の来日公演するアナトーリイ・ヴァシーリエフの新しい劇場は、以前の本拠地アルバーツカヤに程近いうらぶれたアパートの地下の1室とは比べるべくもない。アルツィバーシュフのポクロフカ劇場も新しい劇場に移ることができたし、そもそも芸術座が二つに分裂するなど誰が想像しただろうか。演劇大学GITISは、今は演劇アカデミーRATIと名前を変え、校舎も改装されて見違えるようだ。チェチェンテロで標的になったロシアン・ミュージカルも、本来音楽劇好きのロシア人の好みには合うはずで、成長しないはずはなかった。表面的には肯定的な変化が目立つわけだが、この20年で一体何が変わって何が変わらなかったのだろうか。その本質的な意味はまだ誰も語り始めていないのかもしれない。(ながた・やすし 演劇学・大阪大学)

●演劇書評書評・小島康男監修『ドイツの笑い・日本の笑い-東西の舞台を比較する-』古後奈緒子
人は社会に向かって笑う。このことを優れて意識させてくれる場所が劇場だ。例えば先日、気鋭のアクション芸術家の舞台を訪れた際、観客が少なからず席を立つ中、一人高らかに笑いつづける客がいた。このような場合、笑いは舞台に対してだけでなく、勝利と優越の表明となって他の観客にも向けられている。そして、舞台に向かう笑いは、そこで行われているアクションを媒介として現実世界へと突き抜けて行く。このように考えると、「笑い」という現象は、上演が受容において社会と結ぶ多層的な関係を、優れて映し出す鏡となるのではないだろうか。
このようなことを考えていた折りに、編集部からタイムリーな書評のお題をいただいた。日独の共同研究プロジェクトから生まれた『ドイツの笑い・日本の笑い-東西の舞台を比較する-』である。「笑い」という現象については、これまでに様々な言説圏で理論化がなされているが、演劇学研究においては伝統的な主題であったわけではない。本書においてそれが取り上げられるのは、「喜劇」論が対象とする範囲を超えて、より広い上演芸術の領域を扱おうという論者たちの意気込みによるものである。実際、収められた論考には、テクストが残されにくいキャバレーなどのジャンルや、戯曲の外部に射程をのばした上演分析への積極的な取り組みが認められる。それは、戯曲とその作者の間を行き来する伝統的な演劇学研究に対し、上演と観客の間のコミュニケーションに豊かな意味をくみ出そうとする近年の演劇学の動向とも無関係ではあるまい。 では、日独両文化圏の上演芸術を「笑い」という試金石にかけてみた場合、何が見えてくるのか。それぞれに個性的なアプローチを行う五つの論考を、あえて三つの問題関心にまとめてみる。
まず、テクストに内在化された「笑い」のしかけを分類し、整理するもの。つまり、どのような要因が対象と受け手、あるいはそれらを取り巻く環境の中にそろったとき、笑いに結びつくのかを明らかにするものである。これについては、「笑いのパレット–機知・風刺・滑稽」論が、様々なテクストにおける笑いの要因を分類し枚挙することで、組み合わせによって独自な笑いを形成する絵の具を取りそろえた豊かな「笑いのパレット」を提出した。 この関心と表裏一体をなすのが、道化や「オチ」といった任意の「笑い」の要因を手がかりに、二つの文化圏におけるその表れ方を比較し、異同を見極めようとする試みである。論者たちは「異」と「同」の間で軽やかに思考を切り替えつつ、およそ中世から現代までの膨大な上演芸術作品と理論を渉猟する。その結果、いずれもが次のような見解を示すに至る。日本とドイツの上演芸術はともに、「笑い」を豊かに内包している。しかし、ドイツの「笑い」が知に訴え、風刺を含み、政治的な内容を持つのに比して、日本のそれは情に訴え、宥和の契機となり、政治を直接目標としない傾向を持つ、と。
ここでわざわざ強調しなければならなかったように、日独の上演芸術における「笑い」の豊かさは、実は本書の大前提であったわけではない。著者たちが折に触れ認めるように、ドイツ人と日本人には「笑いから縁遠い」という対外的なレッテルが貼られており、演劇においても同様である。この喜ばしくない文化イメージに一矢報いるために、歴史的な視点を導入したのが「日独の舞台に笑いはあるか?-二つの「遅れてきた国」を比較する-」である。この論は、ドイツの演劇が喜劇的要素に乏しい理由を、他のヨーロッパ諸国に対するドイツ演劇の近代化の遅れの中に求める。他国に遅れた近代化の過程で、シリアスな演劇(E演劇)は笑いを追放し、エンターテイメント(U演劇)と棲み分けなければならなかった。そしてもちろん、従来の演劇研究はE演劇を主な対象とし、U演劇における豊かな笑いの伝統には目を向けてこなかった。ここから、西洋に対して遅れを取り戻そうとする日本演劇の近代化に、同様の構造を見いだすのは難しいことではない。
以上のように、本書は、「笑い」の要因、日独演劇文化の異同、その歴史的背景における共通点を明らかにしてきた。しかし、「笑い」という主題は、新たな研究領域を拓いたばかりである。フォルカー・クロッツの提唱した「笑い演劇」という概念の検討も含めて喜劇の概念規定を見直し、研究範囲を拡大してゆくという課題が確認されている。これと並行して、テクストが書物の形で残されないもの、特に身振り言語や、役者と観客の間にひらかれるコミュニケーションの分析手段を鍛えることも必要になってくるだろう。そこには、文学的な受容構造を背景に読まれるテクスト研究や、ハイカルチャーを対象とした上演芸術研究からは聞こえてこない「笑い」がこだますることだろう。 こういった真面目な試みの延長線上に、願わくば、「笑わない」ドイツ人、日本人といったイメージも覆されたり、、、はしないかもしれない。                                          (こご・なおこ/非常勤講師)

●編集後記●関西で演劇批評誌を発行しようという構想はかなり以前からあったが、今回ようやく実現することになり、『act』(あくと)創刊号が発行された。国際演劇評論家協会(AICT)日本センター関西支部の編集発行である。●AICT関西支部の性格から、雑誌としては特定の芸術主張はとれない。あえて言えば、「現場」に強い関心を持ちつつそれから独立した「自立した演劇批評の追求」であろう。その対象は、舞台芸術であればジャンルは問わない。東京などの劇団の関西公演も取り上げる。さらに、関西在住の批評家の東京演劇評、海外演劇事情紹介も掲載する。『act』が関西演劇界活性化の一つの刺激剤となることを願っている。●創刊号は、ご覧のとおり木の葉のように薄い雑誌となった。雑誌流通機構に出すこともできない。しかし、『act』は一つの仕掛けをした。文字部分の全文をAICT日本センター公式サイトに転載するのである。こうしておけば、全国の関心ある幅広い人に読んでもらえる可能性を提供できるだろう。横組みにしたのも、ネット転載を意識してのことである。●誤解しないでいただきたいのは、『act』は印刷された刊行物が本体であり、サイト上のものはあくまでも転載だということである。インターネットの特徴は、制約がないということである。それは長所であるが、短所にもなる。制約がないだけに、安易に流れる傾向もある。『act』は締切も枚数も制限のある雑誌として企画し、しっかりした批評文章を創出して掲載し、それをネットに転載する。●印刷物が本体であるから、『act』は定期購読者獲得も追求する。創刊号は宣伝のため、発行とほぼ同時にサイト転載するが、二号以降は発行と転載時期が少しずれる。●『act』は当面は季刊である。二号は八月初中旬発行を予定している。雑誌の基礎が固まれば、投稿も積極的に掲載していく。読者のみなさんの忌憚のないご批判をお願いしたい。(瀬戸宏)

act創刊号・前半

act(あくと)創刊のことば市川 明
劇評家で作る組織AICT(国際演劇評論家協会)日本センター関西支部で劇評誌を発行することになった。関西支部のメンバーは現在十三名だが、みんな無類の芝居好き。関西の演劇・パフォーマンス、舞踏などの上演状況を広く、細かに紹介することで、劇場に足を運ぶ人の数が増えればこれに勝る喜びはない。 雑誌のタイトルは『act』(あくと)とした。あくとは劇やオペラの「幕」、寄席やショーの「出し物」といった意味だが、広く舞台上の演技や芝居そのものを表す言葉でもある。もちろん「行為」「行動」が原義なのだが、演劇を鑑賞し、評論するという発信行為をこの雑誌を通して続けていきたい。actはまた私たちの組織「アソシエーション・オブ・シアター・クリティク」の略称でもある。
レパートリーに入った10数本の作品をシーズンを通して日替わりで上演するヨーロッパでは、劇評を見て観劇する人も多い。おのずと劇評家にも高い地位が与えられる。芝居の初日は観客席に劇評家や文化人がずらりと並ぶ緊張の日だ。劇評家は独自の演劇観、独自の文体で評論を展開し、一つの文学・読み物としても読ませる。劇評集を出版し、時代を越えて読まれる劇評家も少なくない。 黄金の20年代と呼ばれるワイマール共和国の時代、ベルリンは世界演劇の首都であった。演出家のラインハルトとイェスナーのみならず、劇評の世界でも大御所アルフレート・ケル(ベルリン日刊新聞)と若手ヘルベルト・イェーリング(ベルリン株式速報新聞)が火花を散らしていた。初日の幕がはねると、近くのカフェや飲み屋で夜を明かし、朝の6時ごろに配られる新聞の劇評をむさぼるように読んだ人も多いという。
日本では劇評が出たころには芝居が終わっていることが多い。劇評が一種の文化現象になるような時代は遠い先のことかもしれない。だが少なくとも多くの人を劇場にいざなうような劇評誌を、皆さんに届けたいと思う。もちろん私たちが目指すのは創造者と真摯に向き合い、互いに刺激し、高めあう創造的なコラボレーションである。歩み始めたばかりのactを、リニューアルした全国誌シアターアーツともども暖かく見守ってほしい。(AICT日本センター関西支部長。大阪外国語大学教授)

●劇評
メタシアターの不思議な舞台空間-糾(あざない)『つのひろい』        市川 明
「…、コレやで」。子どものころ、よく人差し指で角(つの)を作って、怒り狂った先生や親の様子を示したものだ。いわば警戒の赤信号だが、必ず緑に変わるという期待がある。怒りは愛情の裏返しであり、親は何度も怒りの角を生やし、落としていく。「鬼は外、福は内」、大きな声で豆をまいた節分の思い出。鬼には本物の角がある。桃太郎の鬼退治…『つのひろい』は、そんな角が違った時間空間の中で糾い、交差する「変身」物語である。 舞台は薄暗い土蔵の中。闇に差し込む光の中で母親小夜子が娘の美里に桃太郎の絵本を読んで聞かせている。暖かな愛とハーモニーの世界。だが実際には親子の関係は崩壊しており、それは小夜子の幻想であることが次第に明らかになる。だとすればここはもっと思い切ってファンタジックなシーンを現出させても良かったのではないか。
土蔵の中には段ボール箱が山積みにされている。ここには小夜子の少女時代の思い出が詰まっている。いい子で、親のお気に入りだった弟が交通事故で死んでから、小夜子は反抗的になり、家庭は冷え切り、逃げるように家族はこの町を出た。そして今、娘の美里がかつての自分のようになったとき、何か解決のきっかけをつかみたいと思い、ここに帰ってきたのだ。児童養護施設の相談員の最上を伴って。 小夜子は自分の手提げ鞄にコンビニの袋が入っているのに気がつく。美里が入れたもので、中には3体の人形。美里が見ているアニメのキャラクターで、アカネとキスケとアオベエだという。最上は「親子の交流がある」と慰めるが、小夜子は鍵をかけ娘を閉じ込めてきたという。小夜子たちのいない間に子鬼の人形は人間に変身して、歌い、組体操をしだす。さらには人間世界を習って「お仕置きごっこ」なるものをやりだす。異次元の世界に飛び出た人形はもっとお茶目で、元気ないたずら者であってほしい。バレエ『くるみ割り人形』のようにカタコトと踊りだし、ドリフターズのようにずっこけて…。そうしてこそべそをかいて角拾い(つのひろい)=親探しをする最後の場面が生きてくるだろう。 小夜子と美里の争いやコンビニ弁当しか食べていない家庭の様子が三人の子鬼の口から語られる。小夜子に手がつけられなくなり、家族が引っ越していった昔のこともどうやら知っているらしい。やがて彼らは自分たちにも桃太郎の絵本を読むよう小夜子に要求する。小夜子を取り囲み、彼らは本に見入る。すると三方から、マサル、ツキジ、ミイヌが現れる。もう一つの世界=桃太郎の世界が生まれる。マサルとツキジの娘ミイヌは少女時代の小夜子、さらには現在の美里に重なる。残された天体望遠鏡から弟の死や小夜子の過去、親子関係が明らかにされる。マサルとツキジの暴力や押し付けに抵抗して暴れるミイヌ。
二つの世界がメタ空間として描かれ、その中心に小夜子がいる。マサルとツキジがミイヌを檻のなかに入れようとすると、小夜子は彼らの世界に介入し、もっと子どもの気持ちを理解するよう求める。するとミイヌが美里として現れる。小夜子にとって美里は誰よりも大切なはずなのに、自分が親にされていやだったことをそのまましてしまう自分がいる。小夜子は角が生え、変身しているのに気づく。 二つの世界がクロスオーバーすると、今度は子鬼たちが凶暴になり、角を生やして小夜子たちに襲いかかってくる。小夜子の父、母、娘に戻った三人が、小夜子と家庭を守ろうとする。やがて小夜子からも子鬼からも角が落ちる。子鬼はどんなに蹴られても、殴られてもかあちゃんがいないといやだといい、必死になって角拾いをし、かあちゃんを探す。こんな様子を見て、母親の大切さを痛感しながらも、小夜子は美里を施設に預ける決断を下す。髪の毛に触れただけで、叩かれると思い両手で頭を覆う娘に過去の自分を見、親子に受け継がれていく憎悪の連鎖を断ち切るために。それに対して最上は、これから代々、施設に預けるような「新しい連鎖」が生まれると警告し、もう少し頑張るように言う。角(つの)の山の中に弟の形見の顕微鏡が光るところで、舞台は終わる。
宮沢賢治の童話やチャイコフスキーのバレエに、カフカの小説が混入したような不思議な舞台空間。桃太郎の童話の世界と子鬼のアニメの世界が、小夜子を媒介項とし、過去と現在という形で交差するメタシアター。角(つの)が表す愛と憎しみの弁証法。「悪循環」「ボタンの掛け違い」ともいうべき反発・憎悪の連鎖。主人公の決断から観客席に生み出される強烈な反ベクトル…芳崎洋子の作品は魅力的だが、台本の奥行きの深さに比べて、演出家芳崎が作り出す舞台はまだまだ浅い。舞台装置も演じ方も生真面目なほどリアルで、多様な世界が照射されないのだ。小夜子の大山まゆは明るさの中に陰影をにじませ、好演なのだが、他の俳優は総じて存在感が薄い。これも俳優の力量の問題だけではないだろう。「もっとシュールに、もっと立体的に、もっと遊びを、もっと音楽を、もっと光の転換を…」こんなことをずっと思いながら舞台を見ていた。 (2月13日〜15日、HEP HALL)

「じゃれみさ」はダンス版夫婦漫才-砂連尾理+寺田みさこ「男時女時」          中西理
砂連尾理+寺田みさこ「男時女時」(04年2月25日)を東京・新宿のパークタワーホールで見た。俳優出身のダンサー、砂連尾理(じゃれお・おさむ)と現役のバレエダンサーでもある寺田みさこのデュオは一昨年トヨタコリオグラフィーアワード2002で「次代を担う振付家賞(グランプリ)」と「オーディエンス賞」をダブル受賞。関西のコンテンポラリーダンスの世界では旗手的存在となり、今回はその真価が問われる注目の舞台となった。 JCDN(ジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク)の巡回ダンス企画「踊りにいくぜ!!」の福岡公演でこの作品の原型を見て、伊丹公演(03年11月)、「踊りに行くぜ!!」東京公演(03年12月)と見てきての印象は「あの表現がここまで完成度の高いものとなってきたか」という驚きが強かった。だが、今回の舞台ではそこからさらに殺ぎ落とすような成熟の道に進むかと思いきや、そうはなっていないのが面白かった。
もっとも印象的な場面は高島屋の袋に入ったピンポン玉を寺田が舞台に持ち込み、まるでウミガメの産卵のように舞台中にぶちまけていくところなのだが、以前の公演とは段違いに分量が増えていて、床に散らばったピンポン玉を蹴飛ばしながら踊るところなどはそれまでにないダイナミズムがあり、八方破れの勢いを感じさせた。 表題の「男時女時(おどきめどき)」は向田邦子の最後の小説・エッセイ集である「男どき女どき」から取られた。「男どき女どき」という言葉自体は元々は世阿弥の「風姿花伝」にある「時の間にも、男時(おどき)・女時(めどき)とてあるべし」からの引用で、「いいとき、悪いとき」というような意味なのだが、作品の内容との関係でいえば人生においていろんな経験を積んできた男女のカップルの様々な様相が砂連尾、寺田の舞台上での関係性によって提示されていき「男と女/いいとき、悪いとき」の2重の意味合いを持たせようとの狙いがある。
デュオといえばバレエのパ・ド・ドュのように燃えるような二人の愛を歌い上げるような劇的な表現が主流ななかで、この二人が表現するのは「夫婦善哉」のような長い付きあいから生まれたわびさびを感じさせる関係だ。この微妙な関係を提示するための戦略として、ダンスにおけるステレオタイプな「劇的なるもの」を周到に避けていく。 舞台は「エルサレム」が流れるなかに暗闇のなかで上手奥から下手手前に斜めのラインが照明が当たり、そこに佇むダンサーの姿がシルエットとして浮かび上がるという劇的な効果を強調したような壮大なオープニングからスタートする。ここでは舞台全体から「劇的なるもの」がクライマックスに向けて疾走していくような予感が醸し出されるのだが、それはすぐに裏切られる。
ここで一度「劇的なるもの」を見せるのはそこから距離を取って、ずらすための手段にすぎないので、音楽にしても、言語テキストにしてもそれがそのまま舞台上の演技の説明となるようなべったりした関係ではなく、そこから批評的に距離を取り、期待を裏切っていくのが持ち味なのである。 その裏切りの核となるのが、普通ならダンスのムーブメントにはなじまないような「へなちょこな動き」なのだが、それは特に砂連尾の一生懸命踊っているのだけれど駄目駄目を感じさせる身体によって踊られる時に決定的なものとなる。 一方、こうした「へなちょこな動き」の連鎖からなっていてもそれがダンスとして成立していて、場合によっては美しくさえ見えるのが寺田で、バレエダンサーである寺田には以前はともするとその動きのなかでバレエのパが垣間見える瞬間があったのだが、前作「ユラフ」からはそういう動きは意図的に排除されて、既存のダンスにはあまり使われないような身体言語(キネティック・ボキャブラリー)を採集し、それを丁寧につないでいくような振付となっている。
この二人が同時に舞台上に存在し、掛け合いをすることで生ずる微妙な関係が「じゃれみさ」の魅力である。その掛け合いにはダンス版の夫婦漫才を連想させるような諧謔味がある。ダンスデュオといえば大抵の場合はコンタクト(接触)やユニゾンの連続で二人のダンサーの関係性を見せていくのが定番だが、この作品ではそうした動きはほんの一部。ほとんどの場面で2人がどちらかが舞台の前の方、もう片方が舞台奥というように舞台上に離れて互いに別のことをやっている。それなのに作品に散漫な印象がなく、舞台全体としてこのユニットならではの微妙な調和を保ち続けているところがこのデュオならではの特徴。これは簡単に見えて至難の業でそれぞれの個性を生かしながらも、動きのディティールに徹底的にこだわり、自分たちだけの動きを突き詰めていく作業を通じて、ほかのダンスにはないオリジナリティーの刻印を獲得したからこそできるものなのである。(なかにし・おさむ 演劇舞踊評論)  軽やかさと物足りなさとー関西芸術座『リズム』       瀬戸宏
今年は、新劇の実質的な始まりである築地小劇場八十周年である。私が劇評活動を始めた二十世紀八十年代後半、新劇は消滅寸前の演劇とみなされていた。「新劇が滅ぶ日」という評論を書いた批評家もいた。
それから二十年近くたった。滝沢修、宇野重吉、杉村春子、千田是也ら新劇団第一世代は逝去したが、新劇は滅びなかった。その原因分析をする余裕は今はないが、新劇が今日も日本演劇の重要な一部であることは確認できる。それが、かつての新劇と同じ演劇かはまた別の問題であるが。 翻って関西演劇に目を移すと、関西でも新劇は健在である。関西新劇の代表劇団である関西芸術座が演じる『リズム』を二月二十九日昼に関芸スタジオで観た。
『リズム』は、児童文学者森絵都(もり・えと)の同名の小説とその続編『ゴールド・フィッシュ』を脚色した劇である。脚色は勇来佳加、演出は松本昇三。原作の『リズム』は、著者が二十歳の時に執筆し三年後の一九九一年に出版され、いくつかの児童文学賞を受賞した。『ゴールド・フィッシュ』も同年出版されている。近年人気の高い児童文学者であるという。 『リズム』は、さゆきという千葉県のはずれの町に住む少女の中学一年夏休み最後の一日から高校入学までの不安定で微妙な心情を描いている。両親と姉一人の平凡な家庭に育ったさゆきには、真ちゃんという幼なじみの年上の従兄弟がいる。真ちゃんは高校に行かず、髪も染めて好きなロックバンドに本気で熱中している。さゆきはそんな真ちゃんの生き方に共感し、真ちゃんもさゆきをかわいがっている。やがて、真ちゃんの家庭は両親が別居し、真ちゃんも本格的な音楽修行のために東京に行ってしまう。引っ越す前の晩、真ちゃんはさゆきに自分のリズムを大切にするようにと諭した。
二年後、さゆきは受験生になった。ある時、さゆきは真ちゃんが自分に内緒で自分の住む町に帰ってきたことを知り、連絡してくれなかった真ちゃんにショックを受けてしまう。しかも、真ちゃんのバンドは解散し、電話も不通になっていた。そのショックを紛らわすため、さゆきは猛然と勉強し、成績はたちまちあがる。その時、真ちゃんの父が倒れてしまった。そのおかげで、真ちゃんの消息もわかり、真ちゃんの両親もよりが戻る。実は、現実の壁にぶちあたった真ちゃんはやはり普通の生活をしようと、夜間高校に通おうとしていたのだ。さゆきも高校に合格し、新しい生活が始まる。 森絵都の原作は、さゆきの一人称で軽やかに物語が進んでいく。感じやすいが、過度に感傷的にもならない。適度のずるさやわがままもあるが、他人への思いやりもある。真ちゃんの家庭や真ちゃんの境遇など、暗く深刻な問題の筈だが、森絵都の筆はこれらの問題もさらりと描く。この時期の少年少女にありがちな性の問題は完全に削り取られ、社会矛盾もほとんど出てこない。根っからの悪人も生涯の敵も登場しない。
今回、この劇評を書くため『リズム』『ゴールド・フィッシュ』を読んでみたところ、森絵都の原作から得られる印象と、舞台の印象がほとんど同じであることに驚いた。劇の筋も、原作とほぼ同じである。これは、さゆきを演じた岡村直美をはじめとするキャストやスタッフが原作の世界を舞台に再現し得たということで、脚色ものとしては成功であろう。何よりも、舞台に原作と同様の軽やかなリズムがあるのがいい。以前、松本昇三演出の成井豊『ナツヤスミ語辞典』を観て、その演技がキャラメルボックスそっくりだったのに一驚した記憶があるが、今回の岡村直美らの演技も小劇場系の演技と通じるところがある。その是非はともかくとして、『リズム』の場合はその演技が生きている。 と同時に、私はこの舞台に物足りなさも感じた。深刻な社会問題などは一切捨象され、劇の最後でも描かれた問題は一通りは解決されてしまう。問題を投げかけるということがない。さゆきは、夢をもつ真ちゃんに共感するが、さゆき自身も、自己の夢をさがして冒険し現実とぶつかってもよかったのではないか。もっとも、これらは原作の問題なのだが。脚色ものとしてみると、舞台の真ちゃん(丸山銀也)には、原作ほどの個性が感じられない。原作の随所にみられる季節感も、舞台にもっとほしい。私は『リズム』を面白く観ることはできたが、自己の中学生時代を振り返っての懐かしさも切なさも感じることはなかった。これは、私が男性だからなのか。
『リズム』からは原石のままの玉の印象を受けた。そのままでも鑑賞に耐えるが、磨けばもっと輝くのではないか。どこか存在感の薄い関西新劇であるが、関西演劇全体の発展のためにも、もっと気を吐いてほしい。 (せと・ひろし 演劇評論家・摂南大学)

非日常の現実感ー羊団『石なんか投げないで』    九鬼葉子
松田正隆の作風は、近年大きく変わっている。 1994年初演の第40回岸田國土戯曲賞受賞作「海と日傘」や、1997年初演の第5回読売演劇大賞最優秀作品賞受賞作「月の岬」など初期作品では、故郷の長崎弁を用い、庶民の日常を少人数の会話劇として綴ってきた。どこか死の気配を漂わせながら、地方の視点で日本人論を展開した端正な戯曲が多かったが、最近の戯曲は、意味性で解釈することを拒むような、かといって、「抽象的」という言葉でも特定できない、一種独特な作風である。観客が意味を理解し、安心した瞬間に、意味をはぐらかし別の地平に飛躍するような、不思議な劇構造である。
特に羊団に書き下ろす時には、のびのびと実験を謳歌しているように見える。羊団とは、かつて松田が主宰していた時空劇場に所属し、現在はMONOの役者として活躍する金替康博と、やはり元・時空劇場の女優で、現在はフリーの内田淳子が出演し、MONOの水沼健が演出を担当するユニットだ。 羊団の上演した松田の最新作『石なんか投げないで』(3月13日所見、メイシアター)は、イェーツの詩「モル・マギーのバラッド」「ギリガン神父のバラッド」に触発された男女二人芝居。自分の歌う子守歌に眠りを誘われ、寝返りを打った時に、その巨体で赤ん坊を圧しつぶしてしまった女マギー。そして疲れきって居眠りをしてしまい、死ぬ間際の病人の祈りに間に合わなかったギリガン神父。それらアイルランドの民間伝承に基づく人物、マギーとギリガンとして、二人は最初の場面に登場するが、次第に別人格に変わる。12年間監禁された女と誘拐犯。死んでばらばらにされた彼女の体を縫い合わせた男と母。体の縫い日から血のにじむ女。神を見失い、司祭を辞めてうらびれた施設で死んだ兄の死体を拭く女など。
オムニバス形式で役替わりを楽しませる構造では、勿論ない。冒頭のマギーの長台詞は、ト書きのような言葉で書かれている。マギーが赤ん坊を圧死させて村を石もて追われたいきさつを、内田は縫い物をしながらつぶやく。だが、いつのまにか話される主体が「マギー」という他称から、「私」という第1人称に変わり、内田はマギー自身となる。扉の向こうには金替演じるギリガン神父がいるが、舞台に現れた時にはグレンという誘拐犯に変わり、女はマリーと呼ばれ、今度は誘拐された少女に変わるのだ。しかし少女を演じながらも、彼女の語る記憶には、別の誰かの記憶が交錯する。それが誰なのかは、明かされない。 詩やト書きのような台詞が続き、一人語りが次第に会話となり、又一人語りとなる。語られている言葉は、虐げられた者たちの死の記憶だ。暴力、姦淫、差別、飢餓。神父ですら救済することはできない。-見、死ぬ間際の女が垣間見た妄想を綴った芝居にも見える。だが断片的な台詞を、「いつだってそうだ。後から気づく」と言う言葉がつないでいる点などから、二人が演じたのは、人類の罪の記憶を代弁する巫女のような存在にも見える。過ちはいつも後からしか気づかない人間の愚かさ。贖罪の劇にも見えるが、ホロコーストを思わせる白い灰が舞い降りて終わり、改悛の余地も与えない。
舞台は石の敷かれた薄暗い小部屋。息苦しい空間に照明(吉本有輝子)がほのかに外界の光を照らし出し、二人は光を感じて自然体で動く。演技のよりどころを感情の動きに求めていると、はぐらかされる戯曲ではある。だが、二人は相手の台詞にナチュラルに反応し、感情が激することをすり抜けるように書かれた戯曲に沿って、抑制の効いた演技で次の役へと移ってゆく。内田は時に少女に、時に老婆へとしなやかに役替わりし、金持は着実に受けとめる。難解な台詞を身体に染み通らせ、奇妙な現実感を醸し出した。 最近の松田戯曲には、キリスト教など宗教がモチーフに描かれることが多いが、救済は描かれない。むしろ祈っても罪は許されないと、宗教を拒んでいるようにも見える。今回も負の歴史に目を背けてきた人類を断罪するかのような舞台であった。 日常の時間の枠や意識では捉えきれず、また、「各モチーフの象徴するものは何か」といった観点からでは解読できない、簡単に意味づけられることを拒む戯曲。日常に妥協し、安心していた、心の安全圏を打ち破るような挑発的な作風。捉えどころのない現代を象徴する、時代に刻まれる作品へと発展してゆく可能性を秘めている。
松田正隆。今後に注目していきたい作家である。(くき・ようこ 大阪芸術大学短期大学部助教授)

 

 

 

act創刊号

市川明 創刊の言葉
●劇評
市川明 メタシアターの不思議な舞台空間-糾(あざない)『つのひろい』
中西理 「じゃれみさ」はダンス版夫婦漫才-砂連尾理+寺田みさこ『男時女時』
瀬戸宏 軽やかさと物足りなさとー関西芸術座『リズム』
九鬼葉子 非日常の現実感ー羊団『石なんか投げないで』

●時評・発言
藤井康生 大阪の劇場都市化に向けて
森山直人 「同時代」、何処へ行く?
菊川徳之助 演劇の教育と俳優の養成(一)
●海外演劇紹介
永田靖 ロシア演劇は我らの同時代人!?
●演劇書評
古後奈緒子 小島康男監修『ドイツの笑い・日本の笑い-東西の舞台を比較する-』
瀬戸宏 編集後記

シアタークリティック・ナウ2004 AICT賞・シアターアーツ賞受賞式ならびに記念シンポジウム開催

60年代と演劇革命
日時:2004年12月12日(日)終了
19:00:第一部
第9回AICT賞授賞式受賞作:斎藤偕子『黎明期の脱主流演劇サイト』 佐伯隆幸『記憶の劇場、劇場の記憶』
第8回シアターアーツ賞授賞式佳作丸田真悟「平田オリザの、あるいは平田オリザと、観客——『参加する演劇』をめぐって」
19:30:第二部記念シンポジウム 60年代と演劇革命パネリスト 斎藤偕子 佐伯隆幸ゲスト 佐藤信司会 西堂行人料金:500円会場:シアタートラム〒154_0004 世田谷区太子堂4_1_1
主 催:AICT(国際演劇評論家協会)日本センター協 力:財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター
お問い合わせ:mnoda@tcn-catv.ne.jp
本年度、第9回AICT賞を受賞した、斎藤偕子、佐伯隆幸両氏の受賞を記念して、シンポジウム「60年代と演劇革命」が行われる。AICT賞受賞作品は、斎藤偕子氏、『黎明期の脱主流演劇サイト—ニューヨークの熱きリーダー1950-60』(鼎書房)と、佐伯隆幸氏、『記憶の劇場 劇場の記憶』(れんが書房新社)である。 専門領域がアメリカ、フランスと異なっても、両氏はともに60年代の日本演劇を語る上で欠かせない人物である。貴重な話が聞けるに違いない。 パネリストは黒テントの佐藤信氏とAICTから「シアターアーツ」編集代表の西堂行人氏。
斎藤偕子(さいとう ともこ)専門の研究分野はアメリカ演劇、現代演劇理論。主として1960年代以後のアバンギャルド演劇に関心を持つ。それらは著書『境界を越えるアメリカ演劇』(共著、ミネルヴァ書房)、『黎明期の脱主流演劇サイト—ニューヨークの熱きリーダー1950-60』(鼎書房)、訳書『アバンギャルド・シアター』(C.イネス著、共訳、カモミール社)につながる。そのほか、1960年代末より演劇雑誌などで評論、舞台評などの活動を随時行なっており、日本の 現代劇作家などに関する論文もある。慶應義塾大学文学部教授退官後、現在は日本橋学館大学で教鞭を執る。
佐伯隆幸(さえき りゅうこう) 1941年生まれ。演劇評論家。学習院大学文学部フランス文学科教授。専門はフランス演劇。なかでも近代以降のフランス演劇史、および実舞台への思考、とりわけ「演出」(論)を得意とする。実際の舞台という生の現象にこだわり、その現象そのものと、それをめぐるさまざまな理論、歴史、記憶をはじめ、精神史、イデオロギー、社会学、劇場論、俳優の場所、身体論的境域など、難解だが、多義にわたるダイナミックな授業で学生達を引き込む大学教授の貌 とともに、劇場に足繁く通う辛辣な批評家の顔も持つ。敢えて紹介する必要もないが、批評家としては、アングラ期以来よく知られた、日本の「現代演劇」の 動向を究める理論家でもある。著書は『異化する時間』(晶文社)、『「20世紀演劇」の精神史-収容所のチェーホフ』(晶文社)、『最終演劇への誘惑』(勁草書房)、『現代演劇の起源』(れんが書房新社)、そして今回の『記憶の劇場 劇場の記憶』(れんが書房新社)。
●受賞作紹介『黎明期の脱主流演劇サイト』第二次大戦の戦火のもとで疲弊した世界の近代国家の中で、唯一戦場にならなかったアメリカにおいては、いわゆる主流のブロードウエイ演劇が早々に活況を 呈すると同時に、ヨーロッパで中断されていた前衛的な演劇の運動も見られるようになった。1950年代のオフ・ブロードウエイに萌芽して1960年代に熱気を見せ、ヨーロッパの動きとも連動しながら、脱主流演劇オフ=オフ・ブロードウエイの定着に寄与したニューヨークの代表的な先駆的演劇人とその拠点について、その活動を歴史的にたどる。著者は1960年代末に留学してその空気に触れ、資料を集めはじめ、少ない研究書のほかに新聞や雑誌などの記事をもとに、挿話も交えて当時の若い貧しい演劇人たちの、権威筋からの妨害や金銭欠乏と戦ってきた時期の活動の様子を、物語風に詳述した。
『記憶の劇場 劇場の記憶』 1986年から2000年までの膨大な量の演劇日誌。東京よりもパリの方が多い。特筆すべき点はただの観劇の感想に終わらせず、ヨーロッパと日本の理論的考察を含め、舞台をめぐる様々な問題、セノグラフィー、舞台上の記号学などにも触れ、その時期のヨーロッパに関しては、大事な潮流はほぼすべてとり あげていることである。
ゲスト プロフィール佐藤信(さとう まこと)劇作家・演出家 1943年、東京生まれ。1960年代後半からの日本の小劇場演劇運動の中心的なリーダーとして、「68/71黒色テント(現黒テント)」とともに、全国移動公演を中心とした活発な運動をつづける。独特な幻想的文体で日本の現代史への批判劇を書きついだ1970年代の旺盛な執筆活動をへて、「アジア演劇」「物語る俳優」「演劇ワークショップ」「ブレヒトの再評価」「演劇の公共性」「演劇と教育」など、つねに現代演劇シーンを一歩リードする発言と着実な実践によって知られる。劇団黒テント演出部所属。元世田谷パブリックシアター・シアターディレクター。
司会者 プロフィール西堂行人(にしどう こうじん)演劇評論家 1954年、東京生まれ。早稲田大学文学部演劇専攻卒。70年代末より批評活動を開始。90年よりH・ミュラーのプロジェクトを開始。金沢に引き続 き、昨年HMフェスティバルを開催。2004年より「第二次シアターアーツ」の編集代表になる。